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もんじゅの亡霊が日本を滅ぼす

 およそ1兆円もの国費を費やし、いまなお再稼働の見込みのないまま年間200億円という維持費が注ぎ込まれ続ける、高速増殖実験炉「もんじゅ」。ようやく政府は今月(2016年12月)中に廃炉を正式決定するという。

<内容>

■致命的な事故を起こしたもんじゅ。廃炉で核燃サイクル政策も転換と思いきや

■核燃サイクル政策を廃止すると既存原発も動かせなくなる

■官僚は決して失敗したとはいわない。このままでは泥沼に

■もんじゅの廃炉自体がまだ技術的めど立たず

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「もんじゅ」の全景(出典;Wikimedia Commons, source;Nife's photo)

もんじゅは廃炉にするが高速炉の開発は続けると経産省

 国内の原発(軽水炉)の使用済み核燃料からプルトニウムを取り出すのは、高速増殖炉で反応させて、また新たなプルトニウム燃料をつくり出すという「夢の核燃料サイクル」のため。もんじゅはその開発のためのフェイズ2にあたる実験炉。このあとに、実証炉があり、次に実用炉(商用炉)がようやく実現する。

 高速増殖炉はいまから60年も前の1956年に、原子力委員会がまとめた計画に基本構想として記載された。61年の「長期計画」では70年代後半に実用化の目標が置かれた。しかし、一向に実現する気配もなく、実用化は80年代後半、90年代、2010年ごろ、2050年と、ずるずる先送りされてきた。

 原型炉である常陽(茨城県大洗市)は71年に着工して77年に初臨界を迎えている。常陽で得られたデータに基づいて建設されたもんじゅは83年着工、94年に臨界に達した。ところが95年暮れに出力を43%に上げたところで、冷却材である溶融ナトリウムの噴出・炎上事故を起こしてしまった。以後一度もまともに運転できないまま、巨額のコストを垂れ流し続けている。

 ナトリウム漏れ事故はこのシステムの根幹に関わる致命的な事故だ。もんじゅが廃炉になれば、当然高速増殖炉を核とする核燃料サイクルは一から見直し、いや廃止になるものだと思っていたが、国(経済産業省)はそうは考えないらしい。

 報道によれば、もんじゅは廃炉にしても高速炉開発は続け、今後10年程度、実証炉の開発作業を進め基本設計を固めるという。

実験炉を飛び越えて実証炉をつくる?

 驚いたのは、次の炉が実証炉だということだ。実験炉のもんじゅはまともに運転データも取れていない。そのもんじゅを飛び越していきなり実証炉の建設に進むのだというのだ。必要なデータは、フランス政府の実証炉ASTRID(アストリッド)との共同研究と、常陽を活用するとしている。そのアストリッドは今まだ影も形もない。計画では2025年に運転開始予定なのだ。普通物事は、失敗したら、失敗したところからやり直すものである。今回であればもんじゅのどこがどう間違っていたのか、その検証を踏まえて、実験炉を作り直すというならまだわかる。それが、もんじゅより前の原型炉・常陽と、9年後にできる予定のフランスの実証炉でデータを集めて、実験炉を飛び越えて実証炉をつくるというんだから、なんだかもう無茶苦茶な話である。

 要するに、国はもんじゅを失敗した実験炉だとは位置づけていない、ということなのだろう。運営主体たる動燃やその後継の日本原子力研究開発機構の組織に問題があっただけで、もんじゅは悪くない、というわけだ。官僚機構につきまとう無謬論である。官僚自身がつくり上げた責任回避の論理だ。

使用済み核燃料で行き詰まる原子力発電

 もし核燃サイクルを放棄すると、使用済み核燃料も行き場を失う。青森県六ヶ所村に建設中の使用済み核燃料の再処理工場は、やはり何度も稼働が先送りされ続けている。その敷地内には各原発から運び込まれた使用済み燃料を保管するプールがあってすでに満杯状態だ。県と六ヶ所村は、核燃サイクルの実施が困難になった場合にはこの使用済み核燃料を施設外に搬出する、との覚書を日本原燃および2016年に設立された使用済燃料再処理機構(実質的に国)と取り交わしている。施設外というが、要するに元の場所(原発)に戻すということだ。各原発にはすでに使用済み核燃料が溜まり続けていて、そこに運び出した使用済み核燃料が戻ってくると、原発を動かしたくても動かせなくなってしまう。このため、東京電力と日本原子力発電は、青森県むつ市に再処理前の使用済み燃料を長期保存する中間貯蔵施設をつくった。関西電力は使用済み核燃料の中間貯蔵施設を2030年ごろに稼働させる計画を発表しているが、場所は決まっていない。

 もう一つ問題がある。もんじゅを廃炉にし核燃サイクルも放棄するとなれば、これまで溜め込んだプルトニウムも宙に浮いてしまうことだ。ウラン燃料にプルトニウムを混ぜたMOX燃料を英仏に再処理を委託して製造しており、既存原発で使うプルサーマルでしのぐつもりだったが、原発の再稼働が遅れに遅れているし、プルサーマルとなればさらに強い反対が巻き起こるだろう。使うあてもないのに大量のプルトニウムを持ち続ければ、当然核拡散防止条約に引っかかってしまう。日本は、その気になれば核兵器に転用できるプルトニウムを持ち続けることで、「潜在的核抑止力」を維持したいと考えているが、核燃サイクルを放棄すればその根拠を失う。次期大統領のトランプ氏が、日本の核武装を容認する発言をしているが、国際的にはとても認められまい。

辻褄合わせの先送りでは問題はさらに深刻化

 国が2006年に策定した「原子力立国計画」では、高速増殖炉の実証炉を2025年に導入としている。福島事故を経て状況が大きく変化しているにもかかわらずこの計画はまだ生きており、いまから実験炉をやり直していたらそれに間に合わない。かくして、もんじゅは失敗ではなく使命を終えたので廃炉にし、その次のフェイズ=実証炉に進む、という結論が導き出される。とにかく既存計画とすりあわせなければ全ての政策の歯車が狂ってしまうのである。しかし、方向も道筋も間違っているので、また早晩矛盾や行き詰まりに突き当たる。だがそのときにはこれまでの担当者の多くは退職しているか少なくとも担当を外れている。そのときの担当者がまた弥縫策を考え、御用学者を使ってお墨付きを与えればいい。こうして無責任な先送りが続く。そのツケを払わされる国民は好い面の皮だ。しかし、それほど遠くない将来、カタストロフに至ることは間違いない。この国の官僚機構の最大の問題点といってもいいと思うのは、この無謬論=無責任先送り体制である。核燃サイクル政策は誤りだった、と認めるところからしか、やり直しはできない。

 ここへ来て廃炉に関して技術的な問題も解決していないことがわかった。ANNの報道によると、冷却材のナトリウムを取り除くめどが全く立っていないのだという。廃炉にどれだけの費用がかかるのかも不透明だが、そもそも廃炉が可能なのかもわからないのだ。それでもまだ、新高速炉の計画を進めるというなら、国民を巻き込んだ玉砕政策という他はない。


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# by greenerworld | 2016-12-09 17:32 | 環境エネルギー政策
もし2060年の日本が100人の村だったら
 今日は敬老の日。国立人口問題・社会保障研究所の推計(2012)による2060年のニッポン、人口は8674万人、65歳以上の高齢化率は約4割、0〜14歳の年少人口比率は9.1、平均年齢は52歳となる。つまり、かつてなら「人生50年」といわれた50歳になっても、まだ平均より若いのだ。死亡率は千人あたり17.7人で、同出生率は5.6人。従属人口指数(働き手の数で養われる人=高齢者と年少者の数を割った指数)は92.7である(いずれも出生・死亡とも中位仮定)。
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 2060年の予測人口ピラミッドを見ると、重心が大きく上(高齢側)に偏っていることが一目瞭然。女性の80代にピークがあるが、これは団塊ジュニア(第二次ベビーブーム)世代。50代後半から60代前半に小さな山が見えるのはその子供(団塊世代の孫)世代。

 もしニッポンが100人の村だったら、40人が高齢者、9人が年少者、51人が働き手でほぼ1人が1人を養っている。40人くらいがひとり暮らしで、30人くらいは役場の近くに住んでいる。毎年2人くらい亡くなる一方で、赤ちゃんは2年に1度くらいしか生まれない。その結果、人口は10年後には78人に減り、2100年には57人に……。

 

 そんな世界が44年後に待っている。もちろん、ブログ氏は生きてないが、わが息子たちはこんな世界で老後を迎えていることになる。


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# by greenerworld | 2016-09-19 13:24 | 森羅万象
全村避難から5年目を迎えた飯舘村
 5年前の福島第一原発事故で、一部を除いて30キロ圏外でありながら、大きな放射能汚染を受けてしまった福島県飯舘村。3月15日に2号機から大量に放出された放射性物質は低く漂いながら北西に向かい、折から降った雨や雪にたたき落とされて約6200人が暮らす豊かな土地を高濃度に汚染した。そればかりか村民は「30キロ圏外」ということで長く留め置かれることになった。ブログ氏が京都大学原子炉実験所の今中哲二助教らと村に調査に入ったのは、3月28・29日だったが、専門家の今中氏らが驚愕するほどの汚染の中で普通に暮らしている人がいたことが、さらなる驚きだった。

 深刻な汚染を明らかにしたその調査報告が公表されたあと、4月11日にようやく国は「計画的避難区域」という形で避難準備をするよう村に通告した。実際に計画的避難区域に指定されたのは4月下旬、避難が完了したのは仮設住宅が完成する夏になってからである。40代以下の世代は先にアパートなどを探して避難し、仮設住宅に移ったのはその親の世代が多かった。事故前の飯舘村では三世代、四世代がともに暮らす大家族が多かったが、約1700だった世帯数は避難後3100以上に増え、家族はバラバラになった。

 それから5年、仮設住宅にはポツリポツリと空き部屋が目に付くようになった。帰村の思いが叶わぬまま亡くなった人も少なくない。一方で、新たな住まいを見つけて住み替えた人もいる。日大の糸長研究室の最近の調査では、約4分の1が村外に住宅を取得したと推計している。避難生活が長引く中、故郷を離れることを決意したその胸中はいかばかりだろうか。
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 帰還に向けた大規模な除染作業は終盤に差しかかっている。最盛期は村民を上回る7000人ともいわれる除染作業員が村に入り、村内に通じる県道12号線は朝晩渋滞した。住居とその周りの除染はほぼ完了し、農地の除染が続く。それでも、放射線量の低減率はせいぜい半分程度、4分の3を占める山林の汚染は手つかずだ。汚染土を詰めた大量のフレコンバッグは「仮仮置き場」に積み上げられ、たまに帰宅する村民を圧倒する。除染土は大熊・双葉両町に建設が予定されている「中間貯蔵施設」に持ち込まれるはずだが、その用地取得は遅々として進まず完成はいつになるかわからない。一時保管場所である村内の仮置き場も不足し、このままでは「仮仮置き場」に延々と置き続けられるのではと危ぶまれる。「あの黒い山を見るたびげんなりする」と村民は言う。フレコンバッグの耐用年数は公称5年、もうかなり傷んでいることだろう。

 国は来春、帰還困難区域の長泥地区を除く村内の避難指示を解除する予定だ。村も最近になって、避難指示解除の要望書を国に提出した。それに合わせて村の復興準備は急ピッチで進む。しかしそれは「ハコモノ」中心で、果たして本当に復興に資するものなのか、その維持管理が村の将来を圧迫しないか心配でならない。村では昨年村外にある仮設の村立幼稚園・小中学校を、17年4月から村内で再開する計画を発表した。しかし保護者らの再開延長を求める声は大きかった。それに対して村は頑として聞き入れなかったが、3月になって再開の一年延長を発表した。しかしその理由は、「(現在の飯舘中学校に集約する)改修が間に合わないため」というもので、保護者の声に配慮したという言葉はなかった。

 再開したとしても、アンケートからは村に帰還して子どもを学校に通わせるという保護者はごくわずかである。今回の学校再開に関する村の対応は、むしろ保護者や子どもたちの心を村から遠ざける結果になったのではないだろうか。

 15年暮れに行われた復興庁のアンケートでは、将来的な希望も含め帰村意思のある村民は32.8%いるが、避難指示解除で先行する川内村や楢葉町の例を考えれば、避難指示解除後しばらくは村に戻る人はわずかだろう。しかもアンケートの回答率は5割に満たず、回答者の79%は50歳以上である。アンケートに答えていない若い世代のことを考えると、帰村意志のある村民の比率はもっと低くなるだろう。その一方で、賠償が打ち切られれば村に帰らざるを得ない村民も少なくない。その多くは高齢者だが、彼らが帰るところはかつての飯舘村ではない。家族とも離れ、隣近所にも人影が少ない。子どもの声もしない。買い物も通院もままならないのである。「棄民」という言葉が頭の中に響いて離れない。
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# by greenerworld | 2016-04-23 16:42 | 3.11後の世界
この震災で川内原発を止めないこの国の狂気

 2014年8月18日付日本経済新聞(Web版)に「原発事故時の住民避難『九州新幹線活用を』 薩摩川内市長」という見出しの記事があり、中に次のような一節がある。

 「鹿児島県薩摩川内市の岩切秀雄市長は18日の記者会見で、九州電力川内原子力発電所(同市)で再稼働後に重大事故が発生した場合、住民避難のために九州新幹線を利用できるよう、九州旅客鉄道(JR九州)に、鹿児島県と共同で協定締結を申し入れる考えを明らかにした。

 市長は「住民を大量に速く(安全な場所に)運べるというメリットがある」と強調した。(後略)」

 九州電力川内原子力発電所(川内原発)の地元、薩摩川内市の岩切市長は原発推進派で12年4月の市長選挙で再選された。川内原発は、13年に原子力規制庁に新規制基準に適合していると認められ、15年8月に1号機が、同9月に2号機が、新基準下で初めて再稼働した。

 その8カ月後の16年4月14日夜、熊本県中部を強い地震が襲った。さらに16日未明には本震と見られるマグニチュード7.3の地震が起きた。この地震で48名が犠牲になり(4月20日現在)、多くの人が住家を失い避難生活を余儀なくされている。その中で亡くなられた方もいる。まことに痛ましい。

 最初の地震により、九州新幹線の回送車両が熊本駅近くで脱線した。高架橋や防音壁の亀裂、崩落なども150か所以上見つかった。レールの異常や枕木の破壊もあった。地震のあった区間での運転再開までは相当な時間を必要としそうだ。もし、川内原発で事故が発生していれば、新幹線で逃げることも敵わなかったわけである。新幹線ばかりか、九州自動車道もあちこちで道路の亀裂や崩壊、跨線橋の崩落が起こって通行止めだ。いずれも事故につながらなかったのがせめてもの幸いであった。

 もちろん一般道も亀裂が入ったり崩落したり、瓦礫が道路をふさいだりして通行できない場所がたくさんある。今回の熊本地震では、あらためて、震災による交通インフラの寸断が明らかになった。その中で原発が事故を起こす複合災害となれば、新幹線で避難どころか、立てた避難計画そのものが画に描いた餅になろう。地震で家屋は損傷を受けたうえ余震が頻発すれば、屋内退避もできず、放射能から身を守ることもできない。

 もし平時の事故であっても、30km圏外の住民が避難せずに自宅に留まるという想定がそもそも甘すぎる。福島原発事故では放射能が数百km離れた首都圏や長野県、静岡県にまで到達した。高濃度に汚染されて計画的避難区域に指定された飯舘村は、ほとんどが30km圏外だ。それを知っている以上、事故が起きたら30km圏外でも、たとえ100km離れていても、我れ先に避難を始めるだろう。そのために渋滞が発生し、肝心の30km圏内の住民は身動きが取れなくなる。そのために憲法を改正して、戒厳令を発令できるようにしようというのだろうか。

 震災と原発事故が重なる複合災害が、どれほどの二次被害を地域住民にもたらすか、われわれは東日本大震災で大きな犠牲とともに学んだはずである。それを無視するかのように、いやまるでなかったかのように、原発の再稼働に突き進むのは、いったいなぜなのか。

 熊本地震の震源となった2つの活断層で余震域が広がる中、その断層の先にある川内原発は稼働したままである。少なくとも余震が収まるまで運転停止を求める声が高まる中、原子力規制委員会の田中俊一委員長は、「不確実性があることも踏まえて評価しており、想定外の事故が起きるとは判断していない」(4月18日・NHKニュース)と述べ、運転停止を否定した。さらに、4月20日には、運転開始から40年を超えた関西電力高浜原子力発電所1号機、2号機の安全対策に関する申請に、新規制基準下で初めて許可を与えた。原発の運転期間は40年が原則だが、このままでは例外が原則になりそうだ。

 田中委員長は、福島第一原発事故後に「除染して住民を帰還させる」という流れをつくった人物の一人だ。彼は事故後にNPO法人放射線安全フォーラム副理事長という身分で福島県飯舘村に入り、中途半端な除染実験を行って除染土は「谷ひとつ埋めればいい」と言い放った。その後原子力委員会で除染の必要性を訴えている。このとき「この状況のままで今後の原子力の再生は絶望的だ。とにかく何らかのかたちで除染をきちっと行い避難住民が帰ってこられる状況を作り出さない限りはこれからの原子力発電政策はどう進めていいかわからない」と発言している。つまり、除染は原子力産業の延命のために行うのだという話である。「住民が復帰して生活できる条件は、年間被曝線量が20mSv以下になること」と述べていることにも注目してほしい。

 これらの言動を見る限り、少なくとも田中委員長は原子力を3.11前に戻したいと考えている側の人間である。それが原子力を「規制」する側のトップの座に座っているのだ。

 避難に新幹線を使えばいいと馬鹿げたことを平然と述べた薩摩川内市長といい、再稼動後に「免震重要棟」の新設計画を撤回した九州電力といい、そもそも震災と原発事故を舐めている。そして原子力利権がこの国にいかに深く根づいているかを、そして彼らがそれをおいそれと手放すつもりがないことを、あらためて思わざるを得ない。これではいつかまたフクシマは繰り返されるだろう。


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# by greenerworld | 2016-04-22 09:09 | 3.11後の世界
電力自由化の陰に見え隠れする原発と大手電力会社の延命
 今回の「電力小売全面自由化」は、単に家庭部門までの電力小売事業が開放されるに留まらず、これまで既存大手電力会社の一部門であった送配電部門が分離されることが大きな改革点だ。その部分に焦点を当てつつ、いくつかの問題を指摘したい。
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 発電から送配電、小売に至る「垂直統合型」の事業形態をもち、地域を分けて事業の独占が認められていた、これまでのいわゆる九電力体制から、九五年にまず発電部門が自由化され、小売部門も二〇〇〇年以降大口から自由化が進められてきた。しかし、送配電部門を既存電力会社が握っているため、電気の配送料である託送料金の設定や電力の受け入れに関しては既存電力側の思惑で決められ、自由な競争を妨げているという批判が絶えなかった。今回は五年後をめどに送配電部門の法的分離を義務づけたうえで、発電部門と小売部門には原則として自由な参入が認められるようになった。既存電力会社も新規参入事業者(新電力)も同じ条件で、託送料金を送配電会社に払い、発電した電気を送り、売ることができる。

 ただ、送配電部門は「別会社」になるだけで、九電力それぞれのグループ内にそのまま留まる。そして送配電部門に関しては地域独占と総括原価方式が維持されることになった。東京電力は四月から既に法的分離を先取りしたかたちで組織改編を行い、送配電部門を「東京電力パワーグリッド」として持株会社「東京電力ホールディングス」の傘下に置いた。他の電力会社もいずれ同様の対応を取ると思われる。東京電力は火力発電部門と小売部門も別会社とした一方、原子力発電部門は福島第一原発事故に伴う賠償・廃炉・復興推進部門とともに持株会社の一部門とした。

 東京電力パワーグリッドはかたちの上では別会社でも、利益は持株会社に合算される一〇〇%子会社、しかも使用済み燃料処理費の一部と、原発の立地対策費や推進PRに使われる電源開発促進税がこの託送料金に上乗せされて全需要家から電力使用量に応じて徴収される。将来的には廃炉費用もここに加わるかもしれない。どこから電気を買おうと原発関連費用がついて回る。

 さらに自由化は既存電力会社を原発再稼働へと向かわせている。稼働開始から四〇年超の老朽原発は原則として廃炉にする「四〇年ルール」も、原子力規制委員会が認めれば延長できる例外規定で骨抜きになった。安全対策を施して稼働延長しても採算の取れない、出力の小さい原発は廃炉を決定するが、大型原発は最大二〇年延長させてめいっぱい稼ぐ目論見だ。一方で燃料費の安い石炭火力の建設計画も目白押しで、自由化による料金値下げ圧力は、なんのことはない原発とCO2排出量の多い石炭への回帰に繋がっているのである。

 その反面、再生可能エネルギーは固定価格買取制度の改定で導入が頭打ち。供給に限りがあり再生可能エネルギーの電気を選びたくとも選べない状況にある。電力を自前で調達できない新電力は卸電力取引所から電力を供給するが、卸取引所に供給余力のあるのも当面は既存電力会社だけ。新電力を選んだつもりが中身は既存電力会社だったということも。

 来年四月には都市ガスの小売全面自由化も控える。送配電分離同様、東京、名古屋、大阪の三大都市圏で「ガス導管分離」も行われる。東京電力、中部電力、関西電力は都市ガスの原料であるLNG(液化天然ガス)輸入の上位を占め、LNG基地も持ち、すでに自由化されている大口部門に参入ずみ。電力自由化のみならず都市ガスを含むエネルギー自由化とそれに伴う業界の再編の中で、大手電力会社を総合エネルギー企業として生き残らせようというのが、経済産業省の思惑なのだろう。
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# by greenerworld | 2016-04-16 19:01 | 環境エネルギー政策
映画『飯舘村の母ちゃんたち 土とともに』
古居みずえ監督作品『飯舘村の母ちゃんたち 土とともに』
5月7日よりポレポレ東中野でロードショー。以後、横浜、名古屋、大阪で公開。上映時間95分
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 2011年3月の福島原発事故による放射能で汚染され、計画的避難区域に指定された飯舘村。村民は周辺地域や県外へ避難してちりぢりになり、不自由な避難生活ももう5年になります。
そんな中で、佐須地区のご近所同士、菅野栄子さんと菅野芳子さんは、伊達市内の仮設住宅でも隣室同士。

 栄子さんは、村ではご主人とともに米や野菜づくりと酪農を営んできました。伝統食の凍み餅や凍み豆腐、そして地区の女性たちとともに味噌の製造販売にも取り組んできました。

 酪農は70歳で「卒業」し、震災・原発事故の前年にはご主人とお姑さんを相次いで亡くします。栄子さんは事故の年の夏、伊達市内にできた仮設住宅に避難しましたが、原発事故前一緒に暮らしていた息子さんは早くに避難したため別々の避難先に。息子さんは避難後に結婚、お孫さんも生まれましたが、本来なら「内孫」として面倒を見ていたはずなのに、写真を眺めるだけの日々。

 芳子さんは、埼玉県の息子さんのところにご両親とともに避難しましたが、ご両親はその夏に、避難先で相次いで他界してしまいます。芳子さんは慣れない都会にいるよりはと、飯舘村に近い栄子さんのいる仮設住宅にひとりで引っ越してきました。そしてふたりで、仮設住宅の近所に畑を借り、村にいたときと同じように、野菜を作り始めました。支援者とともに味噌づくりや凍み餅づくりも再開します。

 お彼岸やお盆といった節目には、軽トラックを運転して、仮設住宅から飯舘村のわが家に向かう栄子さんたち。しかし荒れ放題の農地、除染廃棄物の黒いフレコンバッグの山を見て、心が塞ぎます。除染が済めば国は避難指示を解除するつもりですが、山林には放射能が残ったまま。若者も子どもたちも戻ってこず、かつての村には戻りません。村に帰ってたとしても、それぞれが大きな家に独り暮らし。何より放射能に汚染されてしまった村に帰ることにためらいがあります。いったいこれからどうしたらいいのか、ふたりの心は揺れ、千々に乱れます。

 そんな日々の中で芳子さんが病に倒れます。栄子さんは動揺して、なかなか御見舞いに行くことができません。ようやく決心して、芳子さんの入院する病院へ向かう栄子さん……。
原発事故のもたらした理不尽さに対するやるせなさと怒りを押し込めて、ふたりの明るい笑い声が全編に響きます。「笑ってねえどやってらんねえ」
ぜひ、多くの方に観ていただきたいと思います。

『飯舘村の母ちゃんたち 土とともに』公式ページ
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# by greenerworld | 2016-04-16 18:44 | レビュー
遙かなる日本語

 もう四半世紀も昔のことになる。台湾南部の都市・高雄のバスターミナルで、東港という町へ向かう乗り場をさがしていた。そこへ「どちらへいらっしゃるの」と声を掛けてきたのは日傘を差した上品なご婦人で、それが完璧な日本語だったのだ。戸惑いつつ行き先を告げると「それなら、これから(東港の家に)戻るところだから一緒に行きましょう」ということになった。車中で尋ねると戦前に高知県の女学校を卒業したという。

 東港の町に着きご自宅に招かれた。ご主人も日本の大学を出ており「もうすぐ中等野球が始まるので楽しみ」だとこちらも完璧な日本語で語った。居間のテレビは日本の衛星放送を映していた。

 台湾は、日清戦争で日本領となり太平洋戦争終結まで日本が統治した。日本語教育が徹底し年配の方はきれいな日本語を話すと聞いてはいたが、異国にいるはずなのに不自由なく日本語で会話をしていると、違和感というのではないが、何だかすわりの悪いような感じがした。翌日、市内の案内にホテルに迎えに来てくれたのは、日本留学から戻ったばかりの夫妻の甥御さんで、日本語は少したどたどしかったが、むしろその方がしっくりときた。

 台湾での経験からさらに五年ほど遡る。ダイビングの旅でミクロネシア連邦の首都があるポナペ島を訪れた。ホテルの近くを散歩していたら、通りかかった家から一人の青年が出てきて英語で「父が話したがっている」と家に招いた。少しいぶかりながら、薄暗い家の中に入ると、初老の男性が日本語で語りかけてきた。

 「内地からいらっしゃいましたか。天皇陛下はお元気ですか」

 現在のミクロネシア連邦も、戦前は内南洋と呼んで日本が統治していた。第一次世界大戦の際に敗戦国ドイツから奪い取ったのである。その後、小さなプロペラ飛行機でコシュラエ島へ渡り、海辺の村を訪れたときも出迎えた老人に「内地からですか。天皇陛下はお元気ですか」とまったく同じことを聞かれた。

 台湾では日本の統治期間が長かったことに加え、先住民、近世以降に移住してきた福建人や広東人それぞれが異なる言葉を話していたため(先住民は部族ごとに言葉が異なる)、共通語として日本語が使われたという。それで戦後、国民党支配下になってもしばらく日本語が残った。ミクロネシアでは統治期間も短かったし、終戦後はアメリカの信託統治領となって今度は英語での教育が進んだため、もともと日本語教育を受けた世代は少ない。それも日本の敗戦をもって突然使われなくなった。彼らの中での日本語は昭和20年の夏で凍結してしまった。だからいま日本語を話すと、彼らが日本語を使っていた戦前・戦中の日本が解凍されて出てくるのである。

 戦後70年経つ現在では、日本語世代もほとんど残ってはいない。ただ現地の言葉に今でも日本語由来の単語が混じる。ポナペ語で「タマ」というと電球のこと、トランクスやショートパンツは「サルマタ」で通じる。死語となった日本語が南の島で生きているのだ。


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# by greenerworld | 2015-11-09 11:15 | 森羅万象
ハリガネムシの不思議
f0030644_08083558.jpg 昨年(2014年)近所の自然観察仲間のTさんから、近くの丘陵に続く道をハラビロカマキリが十何頭も下りて来るのを見たと聞いて、その去年と同じ日にその場所に行ってみた。途中ですでに住宅街の路上にぺしゃんこになったハラビロカマキリの死体が、ところどころにあるではないか。丘陵に近づくと果たして、向こうから何メートル置きか、ハラビロカマキリが道を歩いている。全部で10頭以上、みな低い方(この場合は南の方)へ向かって歩いている。たしかに山を下りて来るように見える。

 そう、ハリガネムシである。普段は樹上で暮らしているハラビロカマキリが、なぜ路上をよたよたと歩いているのか。それは体内に宿した寄生虫のハリガネムシに、操られて(?)いるからだ。カマキリの体内で成虫になったハリガネムシは、その後水中で交尾して産卵する。そして来年の春、卵から孵った微少な幼虫が水生昆虫の体内に侵入し、その水生昆虫が羽化してカマキリに食べられると、その体内で成熟するという、ライフサイクルを持っている。どのようなメカニズムかはよくわからないが、ハリガネムシはそのライフサイクルを完結させるために、宿主であるカマキリを水辺に導くのだ。

f0030644_08084971.jpg 平地ではカマキリが多いが、上流部ではカマドウマやキリギリスなどに寄生するハリガネムシがいる。寄生されたカマドウマは渓流に飛び込んで、魚の餌になる。その際に魚の口や鰓からハリガネムシは脱出する。

 さて、ハラビロカマキリ、もう1頭のほうからはハリガネムシが出てこなかったので逃がそうと思って手に取ったら、いきなり出てきた。それも2匹である。この日は3匹のハリガネムシが手に入った。サンプルとして研究者に送ったら、2匹はメスだったそうである。
 
 今年は秋の訪れが早かったので、それまでにも何度か確認しに行っていたのだが、見あたらなかった。それが去年とまったく同じ日にカマキリが山を下りて来たのはただの偶然なのか、来年も確認してみなければならない。ハリガネムシ、まだまだ不思議が多い。

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# by greenerworld | 2015-10-25 17:08 | 生物多様性
新刊:『「水素社会」はなぜ問題か』のご案内
f0030644_20271034.jpg<目次>
1章 夢の燃料
2章 トヨタ対テスラ
3章 やっかいな元素
4章 原子力水素
おわりに――ポストクルマ社会の議論を

 ここ数年、「エネルギー危機の救世主」の如く喧伝されている水素エネルギーですが、本ブログでもかねてよりその課題や問題性を指摘してきました。水素は地球上では何かと結びついてしか存在しません。そこから水素を取り出し、圧縮または液化し、運搬し、さらに充填し、電気に変える、それらのプロセスのたびに外部からエネルギーを投入しなければならず、歩留まりが悪くなります。このように水素をエネルギーとして使うということはたいへん非効率で非合理的なもので、むしろエネルギーの浪費につながりかねません。水素は次世代エネルギーにも、エネルギー危機の解決にもならないと考えています。

 さらに将来的には、高温ガス炉という新型原子炉を使った「原子力水素」が構想されていますが、これもものになるのかどうかまったくわからない代物で、いわれる通り「安全性が高い」技術だったとしても、使用済み核燃料の問題は解決しません。

 このように、水素や水素社会には、問題が大きいにも関わらず、メディアは行政や企業の発表資料をなぞった報道ばかりで、きちんとした検証にもとづく冷静な報道がほとんど見あたりません。かつての原子力発電=核の平和利用に対するメディアの報道姿勢を思い起こさずにいられません。そんなことから、問題提起のつもりでこの本を書きました。

 書籍の案内はこちら
 http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/27/0/2709310.html
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 水素社会、水素エネルギーの問題点について考えていただくきっかけになればと思います。
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# by greenerworld | 2015-08-03 20:28 | エネルギー
ポツダム宣言と「国体護持」
 今日7月26日は、70年前にポツダム宣言が発っせられた日。米大統領トルーマン、イギリス首相チャーチル、中国国民政府主席蒋介石の連名によるものでした。つまり、ポツダム宣言受諾は、アメリカ、イギリス、中国に対する降伏を意味していたわけです。

 実はトルーマンはその前日に日本に対する原爆使用を決定していた。もし日本がすぐにポツダム宣言を受け入れていたら、原爆投下はなかったのかもしれませんが、おそらく日本がすぐに受け入れることはないだろうとも思っていたでしょうね。

 26日にマリアナ諸島のテニアン島に着いたウラン原爆「リトルボーイ」は、ここで組み立てを完了し、8月5日にエノラ・ゲイに積み込まれて、翌6日に広島に投下され、多くの市民がその犠牲になり、生き残った人たちも原爆症で苦しむことになります。

 日本への原爆投下に先立ち、7月16日にアメリカでは原爆実験(トリニティ実験)が実施されましたが、これは長崎型のプルトニウム爆弾で、ウラン爆弾は事前の実験が行われておらず、広島投下は核実験でもあった。その威力を確かめるために終戦後米軍がいち早く広島に入り調査を始めたのは当然のことでしょう。

 さて、長崎にも原爆が投下された8月9日になってようやく、最高戦争指導会議がポツダム宣言受け入れを議論するのですが、そこでも「国体護持(=天皇制維持)」「戦争犯罪人処罰」「武装解除」「保障占領」をめぐって、なかなか結論が出ませんでした。当時の日本の指導層はなんとか自分たちの責任や処罰を回避しようと醜く右往左往していたのです。

 結局昭和天皇が「国体護持」の一点さえ守れれば受け入れやむなしとして、「聖断」を下すのですが、それは「敵が伊勢湾付近に上陸すれば、伊勢熱田両神宮(八咫鏡は伊勢神宮に、草薙剣は熱田神宮にあるとされる)は敵の制圧下に入り、神器の移動の余裕はなく、その確保の見込が立たない、これでは国体護持は難しい」という理由で、つまり国体護持とは、三種の神器の継承のことであったわけです。
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# by greenerworld | 2015-07-26 11:53 | 森羅万象