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龍馬の盟友の末裔の訃報

 朝刊の訃報欄に土方与平氏の名があった。土方与志(よし)の次男で劇団青年劇場顧問という。演劇の世界はとんと不案内だが、土方与志の名は知っている。戦前、築地小劇場を立ち上げた人で、新劇運動の創始者とも言うべき人物。伯爵の身分だったが、小林多喜二の『蟹工船』を原作にした演劇を上映するなど次第にプロレタリア演劇に傾斜、官憲の弾圧を受けるようになり、ソ連訪問中に爵位を剥奪されると、そのまま亡命した。その後帰国するが治安維持法違反により検挙され服役している。

 与志の父の従兄弟に土方久功(ひさかつ)がいる。久功は戦前当時内南洋と呼ばれたミクロネシアのパラオ島やサテワヌ島に住み、島民の伝統的な技術をアレンジしたレリーフ彫刻や島々の民俗学的記録を残した。結核の治療を兼ねてパラオに滞在した作家・中島敦とも親交を持った。ブログ子は、若い時分ミクロネシアのポナペ島旅行をきっかけにミクロネシア関係の戦前の資料をあさっているうち、久功を知った(久功の資料や作品の多くは晩年を過ごした世田谷区の世田谷美術館に収蔵されている)。それで、その従甥(従兄弟の子)である与志も知った次第だ。世代は久功が一代上になるが与志の方が年長で、しかし2つ違いであったため2人はきわめて親しかったようで、築地小劇場のマークも久功がデザインしている。

 与志の祖父(つまり与平氏の曾祖父であり、久功の伯父)は明治維新の功労者で明治天皇の腹心でもあった土方久元だ。久元は土佐藩の上士でありながら土佐勤王党に所属し、中岡慎太郎や今をときめく坂本龍馬らとともに薩長同盟の成立に関与した。維新後は、農商務大臣や宮内大臣などを歴任、子爵さらに伯爵となる。皇典講究所所長、國學院大学学長も務めた。その息子である久明は陸軍大尉だったが、与志が生まれたばかりのころに自殺している。与志が剥奪された爵位は久元から直接継いだものだったわけだ。

 土方家は山内一豊の移封に従って掛川から土佐入りした。掛川市(旧大東町)に土方という地名があるが(昭和30年以前は土方村)、元々はその出だという。最初は久功との出会いだったのが、与志や久元へとつながり、さらに掛川にも縁があることがわかった。興味深いのは絶対的な天皇主義者であったはずの久元の身内から、与志のような反体制の演劇人が生まれ(与志は結果的に久元のつくりあげた地位や名誉を無に帰してしまった)、久功のような南島で漂泊の人生を送ったような人が出てきたことだ。与平氏の訃報に目を落としつつ、そのことを聞いてみたかったと残念に思った。
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by greenerworld | 2010-01-23 11:05 | 森羅万象  

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