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映画『飯舘村の母ちゃんたち 土とともに』

古居みずえ監督作品『飯舘村の母ちゃんたち 土とともに』
5月7日よりポレポレ東中野でロードショー。以後、横浜、名古屋、大阪で公開。上映時間95分
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 2011年3月の福島原発事故による放射能で汚染され、計画的避難区域に指定された飯舘村。村民は周辺地域や県外へ避難してちりぢりになり、不自由な避難生活ももう5年になります。
そんな中で、佐須地区のご近所同士、菅野栄子さんと菅野芳子さんは、伊達市内の仮設住宅でも隣室同士。

 栄子さんは、村ではご主人とともに米や野菜づくりと酪農を営んできました。伝統食の凍み餅や凍み豆腐、そして地区の女性たちとともに味噌の製造販売にも取り組んできました。

 酪農は70歳で「卒業」し、震災・原発事故の前年にはご主人とお姑さんを相次いで亡くします。栄子さんは事故の年の夏、伊達市内にできた仮設住宅に避難しましたが、原発事故前一緒に暮らしていた息子さんは早くに避難したため別々の避難先に。息子さんは避難後に結婚、お孫さんも生まれましたが、本来なら「内孫」として面倒を見ていたはずなのに、写真を眺めるだけの日々。

 芳子さんは、埼玉県の息子さんのところにご両親とともに避難しましたが、ご両親はその夏に、避難先で相次いで他界してしまいます。芳子さんは慣れない都会にいるよりはと、飯舘村に近い栄子さんのいる仮設住宅にひとりで引っ越してきました。そしてふたりで、仮設住宅の近所に畑を借り、村にいたときと同じように、野菜を作り始めました。支援者とともに味噌づくりや凍み餅づくりも再開します。

 お彼岸やお盆といった節目には、軽トラックを運転して、仮設住宅から飯舘村のわが家に向かう栄子さんたち。しかし荒れ放題の農地、除染廃棄物の黒いフレコンバッグの山を見て、心が塞ぎます。除染が済めば国は避難指示を解除するつもりですが、山林には放射能が残ったまま。若者も子どもたちも戻ってこず、かつての村には戻りません。村に帰ってたとしても、それぞれが大きな家に独り暮らし。何より放射能に汚染されてしまった村に帰ることにためらいがあります。いったいこれからどうしたらいいのか、ふたりの心は揺れ、千々に乱れます。

 そんな日々の中で芳子さんが病に倒れます。栄子さんは動揺して、なかなか御見舞いに行くことができません。ようやく決心して、芳子さんの入院する病院へ向かう栄子さん……。
原発事故のもたらした理不尽さに対するやるせなさと怒りを押し込めて、ふたりの明るい笑い声が全編に響きます。「笑ってねえどやってらんねえ」
ぜひ、多くの方に観ていただきたいと思います。

『飯舘村の母ちゃんたち 土とともに』公式ページ
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by greenerworld | 2016-04-16 18:44 | レビュー  

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