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残り少ないウランに将来を託す日本

「代替エネルギー」という言葉はまやかしだ。なぜなら、これまで世界で使用されてきたエネルギーで、何かが何かを実質的に代替したことはないからだ。薪や炭に石炭、石炭に水力、水力に石油、石油に天然ガスや原子力が置き換わったわけでなく、全てのエネルギー源は使われ続けておりしかも消費量は増加している。石油ショック以後も石油代替といいながら、結局石油の消費は伸び続け、「石油中毒」はむしろ増悪した。最近伸びている再生可能エネルギーも、結局エネルギー構成に新たな要素として加わったにすぎない。

 しかし、それももう長くは続かないかもしれない。石油を始めとする既存エネルギーのほとんどに限界が見えてきたからだ。

 先週の世界再生可能エネルギー会議2006のオープニングスピーチで、国際太陽エネルギー学会前会長のヨギ・ゴスワミ氏は、世界の既存エネルギー資源の限界を説明し、再生可能エネルギー利用拡大の必要性を説いた。印象的だったのは原子力のことだ。原子力発電に使われるウラン燃料消費が年2%のペースで拡大すれば、現在確認されているウラン資源は2030年代に底をつく。もし海水中に含まれるウランを利用できるようになったとしても、2050年頃までしかもたないという。

 だが、日本政府は原子力立国をめざすと言っている。最短25年程度しか持たないといわれるエネルギー資源に将来を託すというのだ。来年度の資源エネルギー関連予算の大きな目玉が原子力と省エネルギーである。省エネルギーはもちろん進めなければならないが、原子力発電のような大規模集中型エネルギーシステムは、実のところ省エネルギーと矛盾する。



 エネルギー設備は規模が大きくなればなるほどエネルギーの無駄が大きい。特に原子力は、昼夜を分かたず一定出力で運転するため、日中のピーク需要に合わせれば、夜間には大きな余剰が生じる。それを解決するために夜間電力を安く売り、オール電化・エコキュートを進めるのだ。しかし、世の中の電化が進めばまた需要が増える。それに合わせて設備を増強すればまた余剰が生じる。そこで電気を消費するための手段(装置)をまた考え、売ることになる。ここでは核廃棄物の問題にはあえてふれないが、それ以前に原子力発電は構造的に「電気を使わせるための発電設備」であって、エネルギーの節約とは相容れない。個々の機器の省エネは進んでも、エネルギーを使う機器がどんどん増えれば何もならない。しかも原子力発電では一方で大量の熱を捨てているのである。

 省エネルギー(エネルギー機器の効率化)と同時に重要なことはエネルギーシステムの効率化である。日本の政策はエネルギー機器の効率化に偏り、システムの効率化には淡泊だ。原子力が国策であることと大いに関係があると思っているが、いかがだろうか。電力自由化は進んだが、熱と電気を供給するコミュニティレベルのエネルギー供給事業はなかなか生まれない。家庭用マイクロコジェネさえ、効率の悪い運用を余儀なくされている。

 原子力に力を入れれば入れるほど、ウラン燃料消費に拍車がかかる。もしかすると先のシミュレーションはもっと前倒しになるかもしれない。しかし原子力発電所を新たに1基つくるだけでも、5〜10年はかかる。新規立地ということになれば、さらに長期を覚悟しなければならない。できあがったはいいが燃料のウランがないという事態も考えられなくはない。

 石油も天然ガスも、先が見えてきた。今こそ、本当に「代替」エネルギーを考えなければならない。もう残された時間はあまりない。

 本日のモーツァルト的気分:Serenade No.9 in D major "Posthorn-Serenade" 第5楽章

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by greenerworld | 2006-10-15 10:53 | エネルギー  

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