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不寛容の連鎖と社会的テロ

 無差別・理不尽な犯罪が増え、セキュリティを確保するために監視を強める方向にある。他人に対する不信に満ちた社会で、人はますます差別感・孤立感を強めるだろう。

 不寛容は大恐慌から二つの世界大戦に向かう時代に世界中に吹き荒れた。簡単に言えば、異質を敵視し排除する態度である。ユダヤ人の排斥しかり、黒人差別しかり。日本も例外ではない。

 いまの時代もその不寛容が次第に大きくなっていることを感じる。内に問題を抱えると外に敵を作って眼を外に向けさせることは、体制の常套手段だ。しかしそうした体制下では内もまた一致団結している訳ではなく、憎悪に満ち満ちている。つねにどこかに敵を作っておかなければならないからだ。

 非民主的な体制を持っている国に限らない。日本もいつの間にかそんな二重構造に絡め取られている。特に酷薄な政治家小泉純一郎による改革は、ポピュリズムを利用して、社会に不寛容を蔓延させた。国民の多数(気分として小泉を支持する者)に反対するものは排除してよいという意識を国民に植え付けた。不寛容な社会で人は差別されることを怖れ、他人を差別して安心する。差別される側に回りたくなければ、みなと同じことを言い、みなと同じことをしなければならない。それでも、つねに小さな差異を見つけ出して差別が起こる。いったん落ちこぼれ、差別される側に回ればもはやはい上がることができないと感じ、自死に追い詰められ、あるいは自暴自棄的な犯罪に走る者も出る。そこで犠牲になるのはむしろ弱い立場の人たちである。ますます社会は不寛容になり、差別を強める。このような犯罪に刑の厳罰化は抑止にならないだろう。むしろ極刑を望んで犯罪を起こすのだから、社会的テロと呼ぶべきかもしれない。

 誰もが秋葉原事件の被害者にも、加害者にもなりうる時代だ。被害者を出さないことはもちろんだが、加害者を生まないためにどうしたらいいのか、真剣に考えなければならない。

 私にも事件でなくなられた方々と同じ年代の息子がいる。理不尽にも未来を奪われた悔しさはいかばかりだろうか。衷心より事件で犠牲になられた方々の冥福をお祈りします。
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by greenerworld | 2008-06-10 14:14 | 森羅万象  

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