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悲しみの門──出アフリカの地はいま

 ソマリア海賊が横行しているアデン海は、アラビア半島とアフリカの間にある。ヨーロッパからアジアへ向かう船は、地中海からスエズ運河を通って紅海に入り、さらに紅海からアデン海へと進む。紅海とアデン海を分けるのがバブ・エル・マンデブ海峡だ。アラビア語で「悲しみの門」という意味だという。海峡の幅はわずか30kmほどで、航海の難所として知られる。

 悲しみの門はアフリカ東部を二つに裂く「大地溝帯」の北端にあたる。そして5万年ほど前、悲しみの門を渡って現生人類の祖先の1グループがアフリカを出たという説が有力になっている(ただし時期については少し幅がある)。

 その当時は氷河期で海面は今よりかなり低かったため、海峡の幅も十数kmであったようだ。向こう岸は見えただろうが、潮流の激しい海を渡らなければならない。その当時の人類が舟を操ることができたということは驚きだ。すでにそのころ人類は貝などの海産物を食料にしていたようだし、釣りやヤスで魚を突く技術も持っていたかもしれない。アフリカを出た人類は、アラビア半島沿岸を通り、ユーラシアへと足を進め、当時アジア・ヨーロッパに住んでいたホモ・エレクトゥスやホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)を駆逐し、やがて世界中に住むようになった。遺伝子の研究で、サブサハラ以外の人類はこのときアフリカを出たわずかな人々から広がったことがほぼ確実になっている。そう、私もあなたも、悲しみの門を渡ってアフリカを出た人たちの子孫なのだ。

 人類は文明を発達させた。アデン海、紅海は交易のために重要な海域となった。アジアの香辛料もここを通ってヨーロッパに運ばれた。19世紀に地中海と紅海を結ぶスエズ運河が建設されると、その重要度はいや増し、列強の侵略が始まる。イタリアがエリトリアを、フランスがジブチを、イギリスがソマリア北部と対岸の南イエメンを植民地化した。戦後それぞれ独立を果たすも、この地域は内戦や紛争が絶えない。とくにソマリアは長く続いた内戦や紛争で経済は破綻、現在無政府状態で海賊の横行を許している。

 さかのぼって5万年前、人類がアフリカを出たことがこのような因果をもたらしたともいえよう。悲しみの門という名はなんとも象徴的ではないか。
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by greenerworld | 2008-12-17 10:41 | 森羅万象  

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