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2016年 04月 23日 ( 1 )

 

全村避難から5年目を迎えた飯舘村

 5年前の福島第一原発事故で、一部を除いて30キロ圏外でありながら、大きな放射能汚染を受けてしまった福島県飯舘村。3月15日に2号機から大量に放出された放射性物質は低く漂いながら北西に向かい、折から降った雨や雪にたたき落とされて約6200人が暮らす豊かな土地を高濃度に汚染した。そればかりか村民は「30キロ圏外」ということで長く留め置かれることになった。ブログ氏が京都大学原子炉実験所の今中哲二助教らと村に調査に入ったのは、3月28・29日だったが、専門家の今中氏らが驚愕するほどの汚染の中で普通に暮らしている人がいたことが、さらなる驚きだった。

 深刻な汚染を明らかにしたその調査報告が公表されたあと、4月11日にようやく国は「計画的避難区域」という形で避難準備をするよう村に通告した。実際に計画的避難区域に指定されたのは4月下旬、避難が完了したのは仮設住宅が完成する夏になってからである。40代以下の世代は先にアパートなどを探して避難し、仮設住宅に移ったのはその親の世代が多かった。事故前の飯舘村では三世代、四世代がともに暮らす大家族が多かったが、約1700だった世帯数は避難後3100以上に増え、家族はバラバラになった。

 それから5年、仮設住宅にはポツリポツリと空き部屋が目に付くようになった。帰村の思いが叶わぬまま亡くなった人も少なくない。一方で、新たな住まいを見つけて住み替えた人もいる。日大の糸長研究室の最近の調査では、約4分の1が村外に住宅を取得したと推計している。避難生活が長引く中、故郷を離れることを決意したその胸中はいかばかりだろうか。
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 帰還に向けた大規模な除染作業は終盤に差しかかっている。最盛期は村民を上回る7000人ともいわれる除染作業員が村に入り、村内に通じる県道12号線は朝晩渋滞した。住居とその周りの除染はほぼ完了し、農地の除染が続く。それでも、放射線量の低減率はせいぜい半分程度、4分の3を占める山林の汚染は手つかずだ。汚染土を詰めた大量のフレコンバッグは「仮仮置き場」に積み上げられ、たまに帰宅する村民を圧倒する。除染土は大熊・双葉両町に建設が予定されている「中間貯蔵施設」に持ち込まれるはずだが、その用地取得は遅々として進まず完成はいつになるかわからない。一時保管場所である村内の仮置き場も不足し、このままでは「仮仮置き場」に延々と置き続けられるのではと危ぶまれる。「あの黒い山を見るたびげんなりする」と村民は言う。フレコンバッグの耐用年数は公称5年、もうかなり傷んでいることだろう。

 国は来春、帰還困難区域の長泥地区を除く村内の避難指示を解除する予定だ。村も最近になって、避難指示解除の要望書を国に提出した。それに合わせて村の復興準備は急ピッチで進む。しかしそれは「ハコモノ」中心で、果たして本当に復興に資するものなのか、その維持管理が村の将来を圧迫しないか心配でならない。村では昨年村外にある仮設の村立幼稚園・小中学校を、17年4月から村内で再開する計画を発表した。しかし保護者らの再開延長を求める声は大きかった。それに対して村は頑として聞き入れなかったが、3月になって再開の一年延長を発表した。しかしその理由は、「(現在の飯舘中学校に集約する)改修が間に合わないため」というもので、保護者の声に配慮したという言葉はなかった。

 再開したとしても、アンケートからは村に帰還して子どもを学校に通わせるという保護者はごくわずかである。今回の学校再開に関する村の対応は、むしろ保護者や子どもたちの心を村から遠ざける結果になったのではないだろうか。

 15年暮れに行われた復興庁のアンケートでは、将来的な希望も含め帰村意思のある村民は32.8%いるが、避難指示解除で先行する川内村や楢葉町の例を考えれば、避難指示解除後しばらくは村に戻る人はわずかだろう。しかもアンケートの回答率は5割に満たず、回答者の79%は50歳以上である。アンケートに答えていない若い世代のことを考えると、帰村意志のある村民の比率はもっと低くなるだろう。その一方で、賠償が打ち切られれば村に帰らざるを得ない村民も少なくない。その多くは高齢者だが、彼らが帰るところはかつての飯舘村ではない。家族とも離れ、隣近所にも人影が少ない。子どもの声もしない。買い物も通院もままならないのである。「棄民」という言葉が頭の中に響いて離れない。
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by greenerworld | 2016-04-23 16:42 | 3.11後の世界