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家に戻ると東京電力から封書が届いていた。「あれだな」とピンと来た通り、この11月から導入される、太陽光発電の余剰電力固定買取制についてのお知らせだった。
![]() まず、電力会社に一定の再生可能電力利用を義務づけたRPS制度。RPS枠からはみ出した再生可能電力の「環境価値」を別途購入してもらうボランタリーなグリーン証書制度。それに補助金。さらにそれに今回の太陽光余剰電力固定買取制度が加わった。 太陽光発電の固定買取価格は、住宅用(低圧供給)で10kW未満が48円(家庭用燃料電池などを併設の場合は39円)/kWh、10kW以上が24円(同20円)/kWh。非住宅用(高圧供給)は24円(同20円)/kWh。500kW以上と、50〜500kWで契約電力より最大電力が大きい場合は対象外。 11月の検診日以降発生する余剰電力からが対象となり、契約申込期間は来年3月31日まで。10年間この価格が固定されて適用される。つまり、3月31日までに設置し契約すればこの価格での買い取りが以後10年間続く。3月31日以降は新価格が設定されると見られる。 この買い取りにかかる費用は、来年4月から電力料金に上乗せされ、電力消費者が広く薄く負担することになる。 さて、民主党のマニフェストには、太陽光に限らず再生可能エネルギー全般の全量固定買取が明記されている。今後各制度はどう変わるのか。早く方針を示してもらいたいものである。
JAL再建問題で富士山静岡空港からの撤退が現実味を帯び、いよいよ廃港も視野に入ってきた。前知事は「立木問題」を理由にさっさと辞職してしまい、ババを引かされた形の川勝知事はさぞ対応に苦慮していることだろう。結局は前知事を選び続けた県民に責任があるのだが……。
同空港サイトの「フライト予約状況」には真っ白の飛行機マーク(空席あり)が並ぶ。このまま空港を維持し続けることはますます傷口を広げることになる。早めに決断を下した方が良さそうだ。さて、跡地を何に使うか……。ドイツでは、廃港になった空港に集中型太陽光発電所(ソーラーパーク)を建設した例がある。これにならって、富士山静岡ソーラーパークはどうだろうか。鳩山政権は2020年までに温室効果ガスの25%削減を打ち出した。再生可能エネルギーからの電力の固定買取制度も民主党のマニフェストにある。 静岡県のサイト(http://www.pref.shizuoka.jp/kuukou/contents/gaiyo/shisetsu.html)によれば、空港の管理面積は190ヘクタール。この半分程度に最新型の太陽光発電モジュールを設置すると、100メガワット以上設置できる。これまでのところ世界最大のソーラーパークは、スペインのオルメディージャにあるもので、64メガワットだ。これを大きく上回る。電力の買取価格が40円/kWhとすると年間50億円程度の売電収入が見込める。すでに整地もすんでおり、設置工事には費用は大してかかるまい。大規模集中型なので、全体のコストも安くすむだろう。50万円/kWとして500億円。15〜20年間では、十分に収益が見込める。 日本初、しかも世界最大級の太陽光発電所、話題性も抜群だ。この方がよほど人が集まるのではないか。有効な跡地利用だと思うが、如何。
民主党は圧勝したものの、メディアの世論調査では、有権者は民主党の政策を必ずしも評価していないという結果が出ている。国民が民主党にフリーハンドを与えたわけではないことを、幹部はよく認識すべきだろう。とくに評判が悪いのは、高速道路の無料化だ。民主党の温室効果ガス削減目標とも矛盾することなど、さまざまなところで指摘してされているので、詳しくはふれないが、選挙期間中にある民主党候補が、「ガソリン車から電気自動車に替わるのだから問題ない」というような発言をしていたのを聞いて、この政策に関して根本的に認識不足・議論不足なのではないかと感じた。
電気自動車の普及にいったい何十年かかると思っているのか。そもそも電気自動車の航続距離では、高速道路の走行に向いていない(将来的にも航続距離の問題が解決するとは思えない)。このお盆期間中の渋滞の中でもガス欠による立ち往生が頻発したようだが、少し渋滞でも起ころうものなら電気自動車はあちこちでストップする。ガソリンを運ぶようなわけにはいかないから、充電車が出動するのだろうか。それとも長い電源コードを引っ張ってくるのか。いずれにしても充電に長時間かかるから、ほとんど役に立たない。 脱温暖化、脱化石燃料をめざすなら、自動車という乗り物に替わる交通システムを提案すべきであって、それが新しい産業や活力にもつながる。高速道路無料化は、車社会を前提にした目先の人気とり政策にしか思えない。世論調査結果でも、それが見透かされていることがよくわかる。人気とり政策のはずがが不人気なんだから、悪いことは言わない、撤回しなさい。それとも、これからよほど説得力のある理由を提示できるのだろうか。
いろんな団体や組織が各党のマニフェスト採点というやつを発表しているので、ブログ子も環境分野に関して、自民・民主両党の政策を読み比べてみた。まず、来年名古屋でのCOP10開催を控えている「生物多様性」について……。
自民党:「安全・安心で自然と共生する社会の実現」の中に「生物多様性保全と自然と共生する社会の実現」として、「COP10に向けた国際的リーダーシップの発揮」など3項目のみが記載されている。いずれもこれまでの政策を総花的になぞっただけで新味はなく、具体性もなし。基本的に生物多様性の重要性に関して理解が不足していることが明らか。安倍政権下で「Satoyamaイニシアティブ」を打ち出したのに、これも「里地里山の保全等」ですまされてしまっている。環境教育に関する記述もなし。他の政策にも言えることだが、省庁の縦割りで政策がまとめられているのは、官僚に丸投げしたものを取捨選択したからか? 民主党:生物多様性保全についての対策には、かなり具体性がある。それとは別に自然環境保護、外来生物対策、里地・里山の保全などの項目が掲げられている。自民党よりはかなり詳細かつ具体的書き込まれている。しかし生物多様性の重要性への国民理解をどのように進めるか、生物多様性の保全をどのように担保するか、については記述なし。開発に対する規制は戦略的環境アセスメントの導入にふれているものの、細かいところはこれから、ということか。外来種対策で「予防原則に基づいた移入種規制の強化」を打ち出したところは評価できる。 試験だとして採点してみると、自民党は下駄を履かせても10点。ま、用語についてはよく覚えてきましたというところ。民主党はこの分野に限れば、60点ぐらいあげてもいいんじゃないか。それにしても、他の党はほとんど具体的な記述がなくて採点できず。これが現実としたら、まず政治家教育から始めなければ。
民主党のマニフェストに、「再生可能エネルギーによる発電量の全量を一定期間、一定価格で買い取る固定価格買い取り制度を導入」とある。ドイツ、スペインを始めとして、導入の成功モデルとなっているフィードインタリフ(FIT)である。
太陽光発電の場合、これまで電力会社が「余剰電力」をボランタリーに買い取ってきた。それで、設置者の家には通常の電力メーターと余剰電力用の電力メーターとの、2つのメーターが設置されている。太陽光発電の電力をコントロールする、パワーコンディショナーも自家消費で余った分を電力会社の配電線側に送り出すように設計されている。全量買い取りにするというと、このシステムを全部変更しなければならない。家庭用太陽光発電システムの設置件数はすでに膨大な数である。これを誰の負担でやろうというのか。当然電力会社は反対するだろう。 さらに、現状では柱状トランスを超えて、余剰電力が押し出されるようにはなっていないようである。つまり同じ柱上トランスを共有する数軒〜十数軒の間で、余剰電力は消費されている。しかし全量固定買い取りになれば利益が出ることから設置が増えて、同一柱上トランス域内で消費しきれず、その先(6,600V)に送り出さなければならない。このシステム変更は考えただけで難しそうだ。おそらく地域の配電系統と切り離して、地域内の太陽光発電システムを全てつなぎ直し、変電所を設けて接続するということになるのではあるまいか。 さらに、電力会社が買い取った部分はRPS(電力会社に義務付けられた再生可能エネルギーの利用比率)に参入されている(その契約をした場合。わが家は契約していないのでその分の環境価値は宙に浮いている)。自家消費分の「環境価値」は未利用だったということで、現在これを太陽光発電設置者から買い取り、「グリーン電力証書」として企業などに買い取ってもらう事業が、いくつかの会社・団体によって実施されている。設置者の負担を少しでも軽くというのが本来の主旨だが、計測器をつけるコストや手間に比べると実入りは少ない。それでもNPOや株式会社など、グリーン証書を取り扱っている団体があり、利害関係者がいる。経産省の住宅用太陽光発電の10年固定買取制度が余剰電力だけを対象にし、自家消費分を対象外にしているのは、ある意味なかなか絶妙な手なのである。 ブログ子はこれまで完全FITの導入を主張してきたが、太陽光発電のような世界でもすでに既存のシステムが広く行き渡り、既得権が生じている部分もある。一口に「FITを導入します」と言っても、一筋縄ではいかないのである。さて、民主党はどうするつもりなのか。
有史以前からの日本列島の人口推移(推計)を見ると、縄文早期に2万人ほどだったのが、縄文前期には10万人を超え、同中期には26万人になっている。縄文前期〜中期は気候最温暖期だった。海面は現在より5mほど高く、東京湾は狭い入り江状に古河・藤岡のあたりまで達していたと言われる。暖かい気候のもと、森の恵みと海の幸によって生活が支えられた。ところがその後は一転寒冷化し、人口も縄文後期には16万人ほどに減少してしまう。こうした困難の中、日本に伝わった水田稲作(技術革新)によって生産力が高まり、弥生時代には人口は60万人に増える。奈良時代には450万人、平安時代初めには550万人、平安時代末期には680万人と増加し、関ヶ原の戦いのあった1600年には1200万人に達していたと推測されている。さらに江戸時代に入って社会が安定したことで人口は急増し、18世紀初頭には3000万人を超えている。しかしその後は度重なる飢饉などもあり、人口は頭打ち、むしろ減少する。幕末にかけてようやく再び3000万人を超えるようになり、明治維新を迎える。明治元年には3400万人だったのが、その後日中戦争(1937年〜)のころには7000万人に達する(人口の数字は国立社会保障・人口問題研究所サイトからの引用)。
さて、江戸時代は徳川の元で全国統一がなされ、さらに鎖国政策をとったことで、大きな資源の出入りはなく、ほぼ国内で自給自足を果たしていた。当時はエネルギーの利用もバイオマス(薪・炭・動植物油)と人力、畜力、水車ぐらいで、基本的には年々歳々の太陽エネルギーを基本にした社会であり経済だった。そのことが「江戸のリサイクル社会」として知られるような徹底した再利用・循環システムを作り上げたわけだ。 その江戸時代の人口が、増減はあるが3000万人を前後するあたりだったとすると、科学技術文明以前の社会における、日本列島の人口キャパシティはだいたいこのくらいなのだろうか。 現在は食料生産、エネルギー変換・利用、情報通信など当時では考えられないほど発達し、効率化されている。そうしたことを考えれば、日本列島でその倍以上の人口は養えるだろう。さらに現在の5分の1とはいえ、CO2排出(化石燃料の使用)も許されるのであれば、9500万人というのは持続可能な社会としてそこそこいい数字なのではないかと思うのだが、楽観的すぎるだろうか? ところで、過去の寒冷化の時代には人口減少も起きている。その点では「温暖化懐疑派」のロンボルグは間違っていない。温暖化は一概に悪いとも言えないのだ。
2050年までに先進国全体でCO2排出量を現状(基準年は未定)より80%削減する──イタリア・ラクイラサミットでの合意だ。CO2排出量レベルで言えば、日本では1960年ごろに相当することは、すでに紹介した。
2050年の日本の人口予測は、国立社会保障・人口問題研究所の予測(2006年)によれば、9515万人(出生中位・死亡中位)。過去にさかのぼって比べると、1962年の日本の人口が9518万人でほぼ一致する。1960年前後というのはどうも未来を考える上で重要な年代のようですな(このことはまたあらためて)。 ただしその中身は大きく異なる。図は1960年と2050年の人口ピラミッドの比較(同研究所ホームページより)。上が1960年で、団塊の世代が十代前半であるから当然であるが、全体にどっしりと重心の低い年齢構成になっている。ここから高度成長を支える若い力がどんどん社会に出て行ったわけである。 ![]() ![]() これに対して下の2050年の人口構成は重心が高く不安定な形。人口が多い年代は80歳前後を迎える団塊ジュニア(第二次ベビーブーム)世代である。全人口に占める65歳以上の比率は40%にも達する。65歳以上が生産活動からの「引退者」とすると、生産年齢人口(15〜64歳)1人当たり、0.76人を支えなければならない。現実には1対1に近いだろう。正直言って今のような年金制度や介護制度のままでは不可能だと思う。生産年齢を75歳くらいにまで引き上げる(つまり働き続ける)ことや、高齢者福祉のあり方を根本的に変えることをしないと成り立たないだろう。しかもこれは全国平均の話なので、町村部では人口の半分以上が65歳以上ということになり、もっと深刻な状況になっているはずである。 こうなると社会をどう維持するかという問題の方が大きくて、CO2マイナス80%どころではないような気もする。暮らし方、町のあり方、居住形態などを変革していかなければならないだろう。コミュニティの果たす役割が大きくなり、高齢者も社会の中で一定の仕事をしなくてはならない。ただ消費するだけとは行かず、食料でもエネルギーでも、ある程度は自分たちで生産するようになっている必要があるだろう。 そうするとけっこう1960年ごろの農山村の社会に似てくるのだが、その後の技術や制度の進歩がそこに被さってくると、それほど悲観した話でもないと思える。
ラクイラサミットの首脳宣言により、先進国は40年後にCO2排出を8割削減していなくてはならない。では、40年前はどうだったのか。「エネルギー・経済統計要覧08年版」によれば、1970年のCO2排出量は1次エネルギー供給ベースで2億900万炭素換算トン。2006年の3億2130万トンの3分の2だ。すでに相当量のCO2を排出していたことになる。もちろん石炭の使用が多かったことは差し引かなければならないが、1965年までさかのぼっても1億700万トン。それ以前のデータがないのでわからないが、8割減というとおそらく1960年ごろまでさかのぼらなければならないのではないか。
1960年というと高度成長期にさしかかったころ。ブログ子がかろうじて覚えているところでは、農村地帯にあったわが家ではまだ水屋(台所)は薪のかまどで、水道はなくて井戸水を汲んで使っていた。七輪もあった。風呂ももちろん薪で沸かし、暖房は火鉢と炭の掘りごたつ、豆炭の行火(調理にはその後プロパンガスが入ったが、風呂はもう少し後まで薪で湧かし、こたつや火鉢は多分72〜73年ごろまで使っていた)。 照明は傘つきの白熱電球だったと思う。田舎ではテレビが入るのはもう少し後、家電製品といえばラジオがあったくらいで、冷蔵庫も洗濯機も扇風機も、もちろんない。ミシンはあったが足踏み式。自動車も家にはもちろんないし、たまに業務用の3輪トラックを見かけるくらいだった。その代わりオートバイはあったかもしれない。 こうしてみると1960年当時、田舎の家でCO2を排出するものなんてほとんどなかった。都会へ行けば違っただろうが、この当時都市と地方の人口比率はまだ後者の方がずっと多かったはずだ。自動車も少ないし、このころは産業部門が排出の中心だったのだろう。1965年当時の排出の3分の2が産業部門からと推計されている。 それにしても、その当時の生活を思うと、8割削減がいかに遠い道のりかを思い知らされる。現状の延長で減らそうとしてもまず不可能だろう。どこをどのように変えればいいのか。それよりも8割減の社会とはどういうものなのかを構想する必要があるのではないか。ありとあらゆるところで根本的な変革が必要である。そんなことを議論する場づくりの必要性を痛感する。
いまから40年前、1970年前後といえば、高度成長のひずみが現れ、公害問題が深刻化、キャンパスには学生運動の嵐が吹き荒れていた。その後ニクソンショック、二度のオイルショックを経て、日本はバブル経済へ。ジャパンアズナンバーワンとほめ倒された挙げ句、バブルは崩壊、長い低迷の時期を迎え、「失われた10年」は何度も延長されてもうすぐ20年になろうとしている。その期間を経験している目から見ると、40年なんてあっという間だ。
G8サミットで、2050年の先進国のCO2排出量を80%削減するという目標が盛り込まれた首脳宣言が出された。今から40年後には、CO2を5分の1にしなければならない。 ブログ子の自宅では3kWの太陽光発電に太陽熱温水器、ペレットストーブを使用している。だいたい7割5分程度は再生可能エネルギーでまかなわれている。これらのCO2をゼロとして、エアコンがない分消費量全体も小さいから、一般家庭より8割程度はCO2排出が少ないと見てもよいだろう。しかし、妻が通勤に使う車はガソリンだから、その分も考えると、まだまだ80%の削減とはいかない。個人の努力ではここまでやっても難しいのだ。 では、産業は? オフィスや学校や病院は? 社会全体では一体どうやったらマイナス80%が達成できるというのだろうか。 マイナス80%を前提にした2050年は、どんな社会になるのか。その答えは40年間かけてではなく、早急に出す必要がある。2050年のイメージに向けて、そこから逆に刻んでいって、実現すべきことを着実に実現していかなければならない。現状の延長にマイナス80%の世界がないことは間違いないのだ。 20代、30代の若い人たちに言いたいことはそのことである。あなたたちが老後を迎えるころ、あるいは今年大学を卒業して入社したあなたが退職を迎えるころ、日本は現在の2割のCO2排出量でやりくりする社会になっていなければならない。懸命にかつ賢明に考えてほしい。自らの保身しか考えていないような政治家や官僚たちに、このまままかせていいのか、ということを。 自戒を込めて繰り返そう。過ぎ去ってみれば40年なんてあっという間である。
麻生さんが言う「太陽光発電を2020年に20倍」には何か根拠があるのか? と故郷の恩師から質問をいただきました。
20倍という数字、唐突に出てきたような印象もあるが、自然エネルギーのことがよくわかっていらっしゃるとは思えない麻生さんが、具体的かつかなり野心的な数字を思いつきで言うわけもないので、手元の資料をあさってみた。 昨年7月に福田前政権により発表された「低炭素社会づくり行動計画」では「太陽光発電世界一の座を再び獲得することを目指し、太陽光発電の導入量を2020年には10倍、2030年には40倍にすることを目標」とある。麻生さんの目標はこの2倍。それで、最後の1%を上乗せしたことになっている。政治的決断なのか? 資料をさかのぼって、2006年に太陽光発電協会(JPEA)が発表した「太陽光発電産業自立に向けたビジョン 2006年改訂版“めざせ!ソーラー・ニッポン”」を繰ってみる。すると、「第5章 2030年までの長期見通し」に2020年の国内市場規模:8700億円、349万kW/年度、国内導入累積2,919万kWとある。2,919万kWを、2005年の実績である142万kWで割ってみると20.6倍になる。裏は取っていないが、どうやらこのあたりが20倍の“根拠”となっていそうだ。 なぜ「低炭素社会行動計画」でJPEAの数字を採用しなかったのかは不明だが、JPEAの「ビジョン」では2030年の見通しは30年に05年の60倍近い累積8,358万kWとしているため、さすがにここまでは無理だと思ったのかもしれない。 一方、今年2月に中央環境審議会地球環境部会がまとめた「低炭素社会構築に向けた再生可能エネルギー普及策について」は、2020年の累積導入量を3,700万kW(05年の26倍)、30年を7,900万kW(同じく55倍)としている。JPEAとは微妙に異なる数字ではあるが、同提言は「公共部門での率先導入に加え、家庭や民間企業が一般的に太陽光パネルの性能が保証される10年間で資金を回収できるような需要側の支援策を講じることで達成が可能と見込」んでいる。この措置として、補助金ではなく、固定買取制度(FIT)が有力であるとしている。 ただしこちらの審議会は環境省系、委員も環境NGO代表などが名を連ねている。資源エネルギー庁としては、そのまま採用できるはずがない。 補助金+RPSとFITの間を取った形の住宅用太陽光発電からの固定買取制度が出てきたのもそんな背景か。中環審の提言より低い20倍という数字も、太陽電池メーカーや電力会社、設置にかかる企業の業界団体であるJPEAの数字に合わせた感がある。 ところで、JPEAは復活した補助金の事務事業も引き受けている。何だかお手盛りという印象もぬぐえない……。
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