管理者へのメール / 管理者のプロフィール


カテゴリ:エネルギー( 93 )

 

新刊:『「水素社会」はなぜ問題か』のご案内

f0030644_20271034.jpg<目次>
1章 夢の燃料
2章 トヨタ対テスラ
3章 やっかいな元素
4章 原子力水素
おわりに――ポストクルマ社会の議論を

 ここ数年、「エネルギー危機の救世主」の如く喧伝されている水素エネルギーですが、本ブログでもかねてよりその課題や問題性を指摘してきました。水素は地球上では何かと結びついてしか存在しません。そこから水素を取り出し、圧縮または液化し、運搬し、さらに充填し、電気に変える、それらのプロセスのたびに外部からエネルギーを投入しなければならず、歩留まりが悪くなります。このように水素をエネルギーとして使うということはたいへん非効率で非合理的なもので、むしろエネルギーの浪費につながりかねません。水素は次世代エネルギーにも、エネルギー危機の解決にもならないと考えています。

 さらに将来的には、高温ガス炉という新型原子炉を使った「原子力水素」が構想されていますが、これもものになるのかどうかまったくわからない代物で、いわれる通り「安全性が高い」技術だったとしても、使用済み核燃料の問題は解決しません。

 このように、水素や水素社会には、問題が大きいにも関わらず、メディアは行政や企業の発表資料をなぞった報道ばかりで、きちんとした検証にもとづく冷静な報道がほとんど見あたりません。かつての原子力発電=核の平和利用に対するメディアの報道姿勢を思い起こさずにいられません。そんなことから、問題提起のつもりでこの本を書きました。

 書籍の案内はこちら
 http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/27/0/2709310.html
(MORE INFO をクリックすると詳しい内容がごらんになれます)

 水素社会、水素エネルギーの問題点について考えていただくきっかけになればと思います。
[PR]

by greenerworld | 2015-08-03 20:28 | エネルギー  

あのE.ONが自然エネルギー企業になる!

 ドイツ最大のユーティリティ(電力をはじめとするエネルギー事業)であるE.ON(エー・オン)が分社化し、発電部門などの上流部門を切り離し、さらに自然エネルギー事業、送配電事業、エネルギー効率化サービス事業に集中するという。

 「これまでの幅広いビジネスモデルでは、変化するグローバルエネルギー市場、技術革新、顧客ニーズの多様化に向けた新しい挑戦に対応できなくなった」というのがその理由。逆にいえば、時代の変化に対応して変わらざるを得なくなったということだろう。

 E.ONが自然エネルギー企業になるというのは、日本でいったら東京電力が自然エネルギー企業になるのと同じくらいのインパクトのある話。自由化と自然エネルギー導入の進むEUだからということもできるが、いずれ日本のエネルギー市場もそのあとを追うことになる。電気事業法の庇護の下地域独占での殿様商売にあぐらをかいてきた日本の電力会社に、こうした自己革新ができるだろうか。適応力を失った巨大恐竜は滅びるのみだ。

出典:ガーディアン
"E.ON to quit gas and coal and focus on renewable energy"
http://www.theguardian.com/…/01/eon-splits-energy-renewables
[PR]

by greenerworld | 2014-12-02 08:44 | エネルギー  

「減電」で日本が再生する

(講談社の『本』に掲載したものです。一部加筆修正してあります。)

f0030644_12442110.jpg

 ライン川の支流に削られた谷は思いのほか深く険しい。暗い葉色をしたトウヒやモミの森を縫うつづら折りをレンタカーで上りきると、丘の上には思いがけず雄大な牧草地が広がっていた。そこには森を見下ろす巨人のような風車が五基、間を置いてゆったりと羽根(ブレード)を回転させていた。南斜面に建つ家々や畜舎の屋根には太陽光発電パネルが輝き、軒先にはたくさんの薪が積み上げられていた。

 ドイツ南西部のバーデン-ヴュルテンベルク州フライアムトは、黒い森(シュヴァルツヴァルト)の中にある村だ。二〇一二年五月に、私がこの村を訪れたのは、自然エネルギー導入の進むドイツの中でもとりわけ先進的な地域だと知ったからである。この村では風力発電、太陽光発電、そしてバイオガス(家畜糞尿や食品廃棄物などを原料に発生させた、メタンを中心とする可燃性ガス)発電で、村で使う以上の電気を生み出しているほか、暖房や給湯の燃料は地域で取れる薪や、木々を粉砕したチップでまかなう。その薪やチップは村外にも運ばれている。

 二〇〇〇年にドイツで導入された再生可能エネルギー法(EEG)は、自然エネルギーからの電気を、コストに見合いなおかつ利益の出る価格で買い取ることを電力会社に義務づけた。フライアムト村ではこの制度を活用し、地域住民が組合をつくって、風力発電ビジネスに乗り出した。太陽光発電の方は主に個人が銀行などから融資を受けて設置している。こうして自給自足どころかエネルギーの〝輸出〟を達成、風や太陽、森の恵みが、地域に富をもたらしているのだ。

 黒い森周辺は、春の味覚、軟白アスパラガス(シュパーゲル)の産地である。シュパーゲルの季節になるとレストランには、専用のメニュー「シュパーゲル・カルテ」が置かれる。ゆでたシュパーゲルにオランデーズソースをかけ、ゆでじゃがいもやシュヴァルツヴァルター・シンケン(塩漬け生ハム)を付け合わせるのが当地風だ。肉や湖でとれるマスもカルテにはあるが、こちらも付け合わせの扱い。メインはあくまでシュパーゲルなのである。

 当地はワインが名産でもあり、農業や観光が主要な産業。住民は、秋になると森に入ってキノコ採りやベリー摘みを楽しむ。そのキノコやベリー、マスが食べられなくなってしまったことがある。一九八六年春、旧ソ連チェルノブイリ原発で起きた事故によって放出された放射性物質が、はるか一五〇〇キロメートル離れたこの森に降り注いだのである。

 フライアムトの四〇キロメートルほど南に、シェーナウという小さな町がある。この町に住む母親たちは、チェルノブイリ原発事故に衝撃を受け、汚染地の子どもたちの疎開を受け入れるとともに、原子力のない未来を目指して活動を始めた。

 当時シェーナウの電力供給は一社に独占されていた。彼女たちは、電力会社に節電とともに原子力からの電気供給を行わないよう申し入れる。その申し入れが却下されると、彼女たちは今度は自前の電力会社をつくり、送配電網(グリッド)を買い取って、自ら〝原子力フリー〟の電気を供給することを目指した。

 この企ては無謀と思われたが、議会で僅差で承認され、一九九七年、彼女たちのつくった電力会社──実際には電力供給組合──シェーナウ電力(EWS)がスタートした。その後電力自由化を受けて、EWSはドイツ全土に自然エネルギーで発電された電気を販売するようになった。二〇一二年三月現在顧客数は一三万人に達し、一五年までに一〇〇万人を目指しているという。「世界の果てのようなこの町からドイツ中に電気を売っている」とEWSの広報担当、エヴァさんは胸を張る。

 フライアムトやシェーナウでの成功の背景に、この地域の中心都市フライブルクの存在を忘れるわけにはいくまい。七〇年代初め、フライブルクから三〇キロメートルほど離れたライン河畔のヴィールに、原子力発電所の建設が計画された。反対する農民たちを支援して、フライブルク市民を中心とする三万人もの人々が予定地を占拠し、最終的に計画を撤回へと追い込んだのである。市民たちは、その運動の中でエネルギーについて議論し学び合い、原子力のない未来へ向けて舵を切った。

 フライブルクでは、市民発のさまざまな先進的プロジェクトが活発に繰り広げられている。フライアムトの風力発電事業をプロデュースしたのも、フライブルクに本部を置くNGOだ。

 先進的な環境政策や交通政策の導入で、いまや「環境首都」として名高いフライブルクは、省エネルギー、エネルギー効率化、自然エネルギーを環境・エネルギー政策の三本柱に据えている。建物の断熱などによりまず使う場面でのエネルギー消費を削減し、熱と電気をともに使うコジェネレーション・システムなどの効率的利用技術によりエネルギーをむだなく使い、その上で自然エネルギーで置き換える。すなわち、作り運ぶ場面(インプット)と使う場面(アウトプット)での削減を前提に、エネルギーを適材適所で使おうというものである。こうした考えは、脱原発と気候変動対策を同時に進めようとする地域や国に共通している。

 三・一一後、わが国で繰り返されたのは、原発なしでは日本は深刻なエネルギー不足に陥るという議論であった。もちろん、この議論は前提が間違っている。電気だけがエネルギーではない。石油も石炭もあるし、暖房や調理には薪や炭も使える。太陽の光は電気に変えずに熱として利用すれば三倍も四倍も効率がよい。

 一方、発電所では大量の燃料を燃やしているが、その時発生する熱の半分以上、原子力発電では三分の二は廃熱となって環境中に捨てられているのだ。送電・変電時の損失もあり、われわれの許に届くのは投入されたエネルギーの平均して三分の一程度でしかない。

 わが国全体の最終エネルギー消費量に占める電気の比率は二五パーセント程度だし、家庭で使用されるエネルギーの半分程度だ。それも電気でなくてもよい用途に使われている。たとえば家庭で使うエネルギーの半分から三分の二は、せいぜい五〇℃もあればよい給湯や暖房に使われている。もし発電所で捨てられる熱が利用できるなら、総体のエネルギー投入量を三割程度は減らすことができるだろう。全てを電気に頼らずに熱を熱としてむだなく使うこと、電気と熱をバランスさせることが、脱原発のみならず、気候変動対策や将来のエネルギー枯渇を考えた時、重要な鍵なのである。

 三・一一以降のエネルギー論議に大きな違和感を感じて、私は「節電ではなく減電を、脱原発ではなく脱電気を」と主張してきた。そのためには現在のような大規模集中型の発電システムでなく、地域地域に適正な規模の、熱と電気の両方を使うコジェネレーション・システムを整備していくいく必要がある。風力発電で知られるデンマークだが、供給電力の半分以上はこうした地域にあるコジェネレーション・プラントからのもので、廃熱は温水として地域の暖房や給湯に利用されている。こうした使い方をすればエネルギーは自ずから地産地消に向かう。エネルギーの代金が地域に回り、関連産業も興るというわけだ。エネルギーシステムの変革は社会も経済も活性化させるはずである。
[PR]

by greenerworld | 2014-01-26 12:48 | エネルギー  

東京・羽村市の無暖房住宅を訪問

f0030644_10432848.jpg
 東京都知事選が始まり、脱原発が争点になっている。残念ながら、エネルギーの議論は相変わらず「電気」に偏っている。原発や化石燃料から自然エネルギーへ、という「エネルギーシフト」の前に、エネルギー使用量そのものを減らすという根本のところをきちんと考えなければいけない。

 エネルギーを使わない社会をつくるには、大きく分けて二つのアプローチがある。一つは、総合的なエネルギー効率を高めることで、電気を作るために失っている廃熱を有効利用したり、電気でなくともいいことに電気を使わないこと、である。発電時に投入されるエネルギーの6〜7割は熱として失われている。太陽光やバイオマスも、電気に変えるより熱として使う方がずっと効率がよい。もとよりわれわれが使うエネルギーの半分以上が熱、それも低温の熱なのだ。

 もう一つは使う場面でのエネルギーの大幅な削減である。それには、いわゆる節電や省エネではなく、根本的にエネルギーを使わない構造に転換すること(「行動の省エネ」から「構造の省エネ」へ)が肝心。家庭での冷暖房に使われるエネルギーは大きいが、それをがまんするのではなく、使わなくても快適に過ごす方法がある。これを減らすことは社会のベースエネルギー消費を下げる意味がある。

 1月25日に、東京・羽村市の一級建築士・関口博之さんの、住居兼事務所を見学させていただいた。南側全面がガラス張りのいわゆるパッシブソーラーハウス(機械力を使わずに暖かくまたは涼しく過ごせる家)である。建物の構造は地元産木材を使った伝統構法、壁は自ら塗った土壁、その後少しずつ断熱工事を加えて、昨冬からは真冬でも晴れた日なら一日中(24時間)暖房はいらなくなった。曇りや雨・雪の日は薪ストーブを焚くが、それもわずかですむそうで、庭の木々の剪定枝や建材の端材で間に合ってしまうという。

 この家、特に目新しい素材を使っているわけではない。建物の南面はほぼ全面ガラス。ただし、その一部には内側に土壁がある。日射があたるとこの土壁が温まりって室内に放熱する。ガラスと土壁の間には少しすき間があり、温まった空気は部屋に循環する。いわゆるトロンブウォールと呼ばれる手法だ。また、冬は太陽高度が低いので、居間の奥まで日射しが届く。ちょうどそこに台所との間仕切りとして大谷石が積まれていて、日射はこの大谷石も温める。土壁や大谷石は蓄熱体となり、日が沈んだ後も暖かさを保つのである。

 ただし、いくら熱をためても建物から熱が逃げてしまえば、何もならない。もともと木と土壁で、あまり断熱性はよくなかった家だが、段ボールと梱包用のエアーパッキン(あのプチプチです)、それを障子紙でくるんだ手製の断熱材を屋根裏にはめ込んだり、すき間を塞いだりという手当を少しずつ施していったそうだ。

 この日はあいにく薄曇りだったが、家の中はほんのりと暖かい。放射温度計を当てると、南側の土壁の表面は15.6℃あった。快晴だと40℃くらいまで上がり、輻射熱が熱く感じるそうだ。

 日が沈むと窓の外をアルミを張ったシートを下げて塞ぐ。家の中は折りたたみ式の障子窓を閉める。窓からの熱放射を防ぎ、屋内に熱を保つためだ。

 「今朝7時の外の気温は0℃、室内は13℃ありました」と関口さん。もちろん夜間を通じて暖房はしていない。

 一方夏は庇とブドウ棚で日射を遮り、屋内の気温上昇を防ぐ。温まった空気は上昇するので、屋根裏から高窓を通じて外に抜く。庭に植えた落葉樹は緑陰をつくり、照り返しと外気温の上昇を抑えてくれる。一方、夜間には窓を開けて通風することで土壁や床、大谷石を冷やす。これらの素材は冷えるとともに湿気を吸い込み、気温が上がって湿度が低くなれば湿気を放出して温度が下がる効果がある。外気温が35℃でも室内は30℃に保たれるという。
f0030644_193374.jpg

 かくして夏冬とも冷暖房に大きなエネルギーを使わずにすみ、電気使用量は平均100kWh/月程度になった。これは一般家庭の3分の1に過ぎない。給湯用には200リットルの太陽熱温水器を設置、その効果で平均LPガス使用量は4〜5㎥/月(一般家庭の半分以下)、トイレで流す水には屋根に降った水をためて使っており、水道使用量も9㎥/月(同3分の1)ですんでいる。これは事務所兼用の住居(5人家族)としては、驚異的に少ないといえる。

 きちんと断熱を施し、太陽光を有効に使うならば、晴れる日の多い関東以西の太平洋側では、ほとんど暖房は不要にできると考えているが、関口邸はそれをまさに実践している。この家では使っていない暖房灯油代も考えると、年間に光熱費20〜25万円ぐらい節約できる計算。設備投資に300万円くらい余分にかかっても、十数年で元が取れる。今後燃料費や電気代が上昇していくことを考えれば、回収期間はもっと短くなるだろう。

 日本でこうしたパッシブ冷暖房が注目され研究されたのはオイルショック後。実験住宅も建設され、取り組む建築家も少なくなかったのだが、その後の逆オイルショック、バブル経済ですっかり「忘れられた技術」になってしまった。今ハウスメーカーが取り組む「エコハウス」は自然の風や冷気、日射を活用するために、センサーや電動ルーバーなどを組み込んだハイテク仕様だ。関口さんが提案するのは「手間がゆとりを生む家」。環境とつながりつつ快適にすむためにはひと手間を惜しまないことが大切だと思う。

 百聞は一見にしかず。2月2日(日)の10時〜16時にも、見学会(オープンハウス)がある。お近くの方は体験してみませんか。終了しました。

 一級建築士事務所・関口建築+生活Lab
 http://blogs.dion.ne.jp/sekiguchi_lablog/
[PR]

by greenerworld | 2014-01-25 19:43 | エネルギー  

明かりを灯すたびに

 東京の離島で「漆黒の闇」というやつを経験したことがある。

 月がないどころか、空は厚い雲に覆われて星明かりもなく、前後左右も上下すらもあやふやになる。いわゆる鼻をつままれてもわからないという暗さだ。その闇の中、オオミズナギドリが海から陸にある巣に戻ってくる、その時の音や声を聴こうという趣向だったと思う。

 視覚に頼れないことを体が納得すると、それ以外の感覚がだんだんととぎすまされてくる。聴覚はもちろん、嗅覚や触覚が敏感になる。空気の中にさまざまな匂いが混じっていることがわかる。皮膚は気温や湿度、わずかな空気の動きを感じ取る。

 ほ乳類の祖先は中生代の闇の中で生き延びてきた。その原初的な記憶がよみがえってくるような体験だった。それにしてもオオミズナギドリは、漆黒の中どうやって自分の巣を見つけるものか、不思議でならなかった。

 九州の離島では、海岸に寝そべって星を眺めた。薄もやのように光る天の川を基準に、アルタイルやベガ、デネブを探す。南の空にはさそり座が長く横たわり、時折流星が視界をかすめた。波音をBGMに星だけを眺めていると、まるで宇宙空間に漂っているような感覚さえした。

 また別の時、沖縄の離島で満月の夜、サンゴのかけらを敷き詰めた小道を歩いた。白い小道にくっきりと人の影が映る。海岸に出るとリーフに波頭が輝いて見えた。砂浜に車座に座って見渡せば人の表情がはっきりとわかった。

 満月の光はどこかあやしげでもある。浮かれ狸が踊り出したり、人狼が変身したりするのもうべなるかな。人もまた然りだ。三線の響きで島歌が始まった。

 東(あーり)から ありゆる うつきのゆ うちなん やいまん てらしょうり
(東の空から上ってくる大きな月の夜 (お月様よ)沖縄も八重山も照らしてください)

 久々に満天の星とその中を貫いてぼうっと光る天の川を見たのは、福島県飯舘村にいたときである。文明の火の暴走のために、全村避難で村民がいなくなり、まわりにはほとんど明かりがなかった。その中で星々はこぼれ落ちんばかりに輝いていた。流れ星がすっと流れ、白い軌跡を残して消えた。

 明かりを一つ一つ灯すたびに、人はどれほどのものを失っただろうか。
[PR]

by greenerworld | 2014-01-04 12:37 | エネルギー  

石油と戦争

明けて2014年は、第一次世界大戦の開始から100年目。
エネルギーを選びなおす』(岩波新書)のドラフトから、使用しなかった一節を。

───────────────────────────
 二〇世紀は、戦争の世紀であると言い切ってよいだろう。それもさまざまな近代兵器が発達し、大量殺戮が可能になった時代である。その陰には、石油を始めとする化石エネルギーの存在がある。逆に言えば、近代の戦争は石油なくしては成り立ち得ない。

 第一次大戦(一九一四〜一九一八)では、初めて自動車が人や物資の輸送を担い、兵器として戦車や飛行機や潜水艦が開発された。飛行機のエンジンを製造したのは自動車メーカーだったし、戦車の製造もまた自動車メーカーが担った。そもそも兵器の〝燃費〟はおそろしく悪い。もちろん兵器であろうと燃費が良いに越したことはないが、燃費向上のために戦闘能力を犠牲にするようなことはするはずがない。現代の戦車でも軽油一リットルあたりの走行距離は数百メートルだから、第一次大戦時は推して知るべしである。当時のフランス首相クレマンソーは、アメリカのウィルソン大統領に「石油の一滴はわが兵士の血の一滴に値する」と記した電報を送り、石油の支援を求めた。第二次世界大戦では、同じ言葉を日本が戦争遂行の標語として使った。

 ヒトラーも戦争における石油の重要性がよくわかっていた。ドイツは石油資源に乏しかったが石炭が豊富だったため、石炭をガス化してメタノールや合成ガソリンを製造する技術が開発された。と同時にヒトラーは自動車の大衆化を掲げ、政権についたばかりの三三年二月、ベルリン・モーターショーで「国民のための車(フォルクスワーゲン)」構想をぶち上げた。彼はその開発をダイムラー・ベンツを辞めてフリーだったフェルディナント・ポルシェに託した。自動車を生んだ国にもかかわらず、当時のドイツ自動車産業は遅れており、ドイツメーカーの自動車はいずれも高級車で、一般庶民が買えるようなものではなかった。ヒトラーは国民に対する人気取り策として国民車を構想し、それを走らせる高規格道路=アウトバーンの建設にも乗り出したが、それはもう一方で戦争遂行のためでもあった。

 ポルシェはヒトラーの依頼に応えてプロトタイプを作り、量産に向けて工場も建設されたが、ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まると、工場は戦闘車両や戦車の製造に携わることになり、結局終戦まで一台の車も製造されることはなかった。

 すでに中国大陸で泥沼の戦争を繰り広げていた日本が、一九四一年一二月八日にハワイ・オアフ島の真珠湾を攻撃し、太平洋戦争に突き進んだのにも、石油が深く関わっている。

 そのころアメリカは世界最大の石油生産国であり、輸出国だった。日本にも油田が存在していたがその生産量はわずかに過ぎず、日本の石油の海外依存度は九二%、対米依存度は七五%に達していたのである。航空機のエンジン出力向上に欠かせないオクタン価の高いガソリン精製能力でも、日本はアメリカに大きく劣っていた。

 三七年の日華事変を期に、アメリカは対日制裁を進める。工作機械、石油や高性能な航空機用ガソリンが輸出制限になり、さらに四一年七月には日本の在米資産の全面凍結、八月には石油の全面禁輸が実施された。追い詰められた軍部は、現在のインドネシアやマレーシアの油田を占領し、日本に還送することをめざした。

 開戦前に検討された不利な数字はことごとく無視され、あるいは棚上げされて、開戦しか打開の道はないと軍部は突き進んでいく。真珠湾の奇襲は成功したかに見えたものの、石油備蓄タンクもドックも破壊せずに引き揚げたため、米軍はすぐに体勢を立て直す。日本軍は真珠湾攻撃後ただちにボルネオやスマトラの油田や精油所を制圧するが、陸軍と海軍の対立でまごついているうちに油槽船が次々沈没され、補給ラインが断たれた。南方に派遣された石油技術者の多くも犠牲になり、掘削機械も失われた。燃料不足では、艦船も動けず戦闘機も飛べず、もはや戦いにならなかった。
[PR]

by greenerworld | 2013-12-31 10:05 | エネルギー  

311後のクルマの世界?

 2年に一度開催される国内最大の自動車展示会・東京モーターショー(一般公開日2011年12月2日〜11日)。例年は千葉・幕張メッセでの開催だが、2011年は東京ビッグサイトでの開催となった。集客を考えてとのことだが、実際には出展者が減り、ビッグサイトでも対応できるようになったということなのかもしれない。ただリーマンショックを引きずっていた前回2009年より、ヨーロッパ系メーカーの出展は増えた。

 少子高齢化に加え、若者のクルマ離れが進み、縮小する日本の自動車市場。石油価格上昇や地球温暖化問題も追い打ちをかける。そこを乗り越えるコンセプトがどこかのメーカーからか出てくるかと期待しているのだが、もともとがクルマ好きの集団である既存の自動車業界にそれを求めるのはなかなか難しいのかもしれない。

 トヨタがRe Bornをコンセプトに掲げ、大人になったドラえもんとのび太の世界をCMで描いて話題になっている。しかし、人気のキャラクターを使って若者をクルマに惹きつけようと考えるより、車に興味のない若者にコンセプトづくりをまかせてみたらどうだろう。新しい乗り物について、もっと突き抜けた発想が出てくるのではないかという気がする。

 会場を回って、2000年代前半にあれほどもてはやされた燃料電池車(FCV)が目立たないことに気づいた。燃料の水素の原料や積載の問題、実質的な燃費など、現実的に考えると、FCVには課題が多く、決して“究極のエコカー”とは言えない。現実的な選択としては、ハイブリッド車(HV)とその先にあるプラグインハイブリッド(PHV)だろう。

 ハイブリッド車は各社が出展し普通の車になってきたけれど、まだ先行2社(とくにトヨタ)と他社の間には差が大きい。これは内燃機関車(ICEV)の燃費を向上する技術と考えればよいが、小型量産車に搭載している限り燃費は40km/㍑くらいが上限だろう。

 これに対して、充電もできるプラグインハイブリッド車(PHV)が来年1月末にいよいよ上市される。トヨタのプラグインプリウスだ。近距離走行ではバッテリーEVとして、中長距離ではガソリンを燃料にHVとして走るツインモード。燃費は充電分と合わせて61km/㍑という。現行の車の延長としてはこれが当面の解だろう。

 だがPHVはエンジン、ガスタンク、モーター、バッテリーとたくさんの装備を積載するので、重量もサイズも大きくなる。クルマの空気抵抗は速度の3乗に、接地摩擦抵抗は重量に比例する。当然その分効率は悪くなるわけだ。PHVは実はこうした矛盾も抱えている。

 電気自動車(EV)はエンジンとガソリンタンクを積まない分、コンパクトにできる。しかし、航続距離を伸ばそうと思えばバッテリーをたくさん積まなければならない。そうすると重量が増え、車体も大きくなり燃費が悪くなる。EVに限らないが、遅く軽いほど燃費はいい。だがとくにEVではどのような使い方をするのか、シーンを考えた提案が必要だ。

 以前からあったコンセプトではあるが、三菱、日産、ダイハツが展示していたのが前後2人乗りのタウンコミューターEV。しかし日本ではこのタイプの乗り物は車検を通らず、公道を走れない。フランスには免許の要らない「クワドリシクル」というジャンルがある。軽自動車と自転車の中間の位置づけ。これはEVに向いている。日本でも規制緩和が必要だろう。ダイハツ自動車のコンセプトモデル「Pico」の前で解説員を務めていた、同社の北川尚人取締役は「こうした規格の乗り物が日本で走れるようにしたい」と言う。都市部では買い物や送迎など1回数km、1日合計でも20〜30kmという利用である。今この分野は軽自動車。規制緩和されれば、EVクワドリシクルがそこに取って代わる可能性は高い。

 ところで、「311後のクルマ」という提案は、残念ながら見あたりませんでした。
f0030644_185496.jpg
トヨタのプラグインプリウス
f0030644_1842344.jpg
日産New Mobilityコンセプト
f0030644_1844569.jpg
ダイハツPicoコンセプト
[PR]

by greenerworld | 2011-12-01 18:12 | エネルギー  

あらためて水素社会が実現しない理由

 ツイッターを始めてから、脱原発や脱化石燃料社会を願う人の中に、水素神話や水素エネルギーに対する誤理解がかなり根強いことに気づいた。かつて燃料電池がもてはやされたときに、水素は地球を救うなどと言われたことがまだ尾を引いているのだろうか。確かに、燃料電池で水素と大気中の酸素を反応させて電気を取り出すのは、効率も高く、あとは水になるだけで、CO2も有害汚染物質も排出しない。クリーンであることは間違いない。しかし、以前も書いたが、水素は電気と同じ二次エネルギーである。つまり何らかのエネルギーを投入して作らなければならない。そこで熱力学の法則が働く。無から有は取り出せないし(第一法則)、必ず使いにくいエネルギーが生じてしまう(第二法則)。

 電気の場合、一般的な火力発電(汽力発電)では化石燃料を焚いて高温の蒸気を作りタービンを回し、そのタービンの回転で発電する。発電効率は温度差が大きいほど高くなる。復水器で蒸気を冷やすのはこの温度差を作り出すためだ(その過程で温排水が出る。これは原子力発電も同じ)。もちろん排気にも熱が含まれている。こうした熱損失なしには、電気を作ることはできない。

 水素も同じである。水素は単体では地球上にほとんど存在しない。水素を得る方法は主に2つある。炭化水素(化石燃料)から改質して取り出すか、水を分解して取り出すかだ。前者は家庭用燃料電池「エネファーム」で実現している。ただし改質の際にCO2は発生するため、効率は高いが完全にクリーンだとは言えない。そこで、再生可能エネルギーを用いて水から水素を作れば、全くゼロエミッションになると考える人たちもいる。こういう水素を「R水素」と呼ぶらしい。

 以前(http://greenerw.exblog.jp/15156360)も書いたが、南九州の屋久島で、鹿児島大学などが水力発電を使った水素ステーションと燃料電池車の走行実験を行った。水力発電で得られた電気で水を電気分解し、水素を製造、精製、乾燥圧縮してホルダーに蓄えた。その結果、総合的な効率は22%にとどまったという。つまり水素にすることによって、元の電気の持つエネルギーがたった4分の1~5分の1になってしまったのである。しかも使うときのはこの水素を燃料電池で電気に変える必要がある。効率は40%程度なので、最終的なエネルギー効率は8.8%になってしまう。なんと10分の1以下だ。これでは元が再生可能エネルギーとは言え、いくらなんでもむだづかいと言われるのではあるまいか。

 工程(仕事)を重ねれば重ねるほどエネルギー効率が低下するというのも、また熱力学の法則が導く真実なのである。考えてみてほしい、R水素製造では、再生可能エネルギーで起こした電気を使って水を電気分解する。使うときはその水素を燃料電池で電気に変える。そのたびごと使えるエネルギーは減る。最終的に電気として使うなら、再生可能エネルギーで作った電気をそのまま使えばいいと、子どもだって思うだろう。「電気は貯められないから」と言われるかもしれないが、極低温超高圧圧縮を必要とする水素貯蔵のためのエネルギーを考えれば、電気をそのままバッテリーに貯めた方がまだ効率的だ。しかも水素は極めて微細な空隙からも容易に漏れてしまう。

 燃料電池に再生可能エネルギーからの水素を使うのはかようにむだな話なのである。燃料電池はむしろ化石燃料の効率的利用技術として考えるべきだと、ブログ子は考えている。規模によらず発電効率が高いのは大きな利点で、定置用のコジェネ電源として使えば大いに意味がある。低温廃熱を給湯や暖房に利用することで80%以上のエネルギーを利用できるからだ。

 再生可能エネルギーは、ほぼ全てが太陽エネルギーが元になっている。われわれは頑張っても太陽エネルギーのごく一部しか使うことができない。自然にも将来世代にも負担をかけないためには、再生可能エネルギーといえども賢くむだなく使うことが大切なのだと言いたい。
[PR]

by greenerworld | 2011-02-11 12:34 | エネルギー  

石油枯渇に備えよう

 2008年夏にはいったん140ドル/バレル(NYMEX・WTI先物)超まで上昇した原油価格だったが、リーマンショックで急落、しかしここへ来てまたじわりじわりと上昇している。年末年始には90ドルを超え、投資家のブーン・ピケンズは、今年中に120ドル/バレル突破もあり得るとロイターのインタビューで語った。

 背景にはもちろん景気回復、とりわけ中国やインドの経済成長に伴う旺盛なエネルギー需要があることは間違いない。しかしもう一つの要因として、昨年11月にIEA(国際エネルギー機関)が「World Energy Outlook」の中で、在来型の石油生産量は2006年にピークを迎えた可能性が高いと発表したこともあげられるのではないか。OPECに対する石油消費国クラブであるIEAがこのような発表すること自体、確実に一つの時代の節目を感じさせるが、世界最大の産油国で同時に世界最大の原油埋蔵量を持つサウジアラビアに関しての、さらに気になる情報が、最近WikiLeaksによって明らかにされた。

 すでにサウジの産油量がピークアウトしないまでも、かなり採掘にコストがかかるようになっているのではという噂は数年前からあった。WikiLeaksの情報ソースはアメリカ外交筋の2007年の外電で、サウジの国営石油会社アラムコが、次の10年間原油価格を安定させうる日量1250万バレルを下回る1200万バレルしか生産できないと、アラムコの元開発部門長で取締役でもあったサダド・アル=フセイニ氏が語ったという内容。この話の核心は、サウジが原油埋蔵量を水増ししていた、というところにある。それも3000億バレル=現在の埋蔵量の4割もの莫大な量である。

 アラムコでは、現状で7160億バレルの埋蔵量のうち51%が採掘可能であり、新しく発見される分を含めると今後9000億バレルの埋蔵量が見込まれ、採掘技術の進歩でそのうち70%が採掘できるようになるだろうとしていた。しかし、アル=フセイニ氏はこれを否定、7160億バレルのうち3000億バレルは推測に過ぎないとし、元々の埋蔵量は3600億バレルであり、その半分を採掘した時点で産油量の低下が起こり、それを止めることはできないと語ったという。サウジはこれまですでに1160億バレルを生産しており、1200万バレル/日の生産を続ければ、14年以内にその局面に到達し、その後はどのような努力をしても生産量低下が避けられない。

 以上が2007年の外電。さらに2009年の外電では、中国やインド、産油国自身の経済成長による石油需要の高まりによる需給の逼迫が原油価格を押し上げていることを指摘、今後需要はますます高まり価格上昇の要因となる。新規に発見される油田は既存油田の生産減少を補うには不十分だとも言う。

 ソース:http://pragcap.com/wikileaks-peak-oil-is-real

 原油価格の安定はこれまでサウジの油田が支えてきたと言っていい。サウジの石油産業の中枢にいた人物の話だけにこの内容には真実味がある。石油文明の崩壊はすでに始まっているのかもしれない。少なくとも安い石油の時代は終わった。黄昏まであまり時間は残されていない。何をなすべきか考えよう。
[PR]

by greenerworld | 2011-02-10 00:10 | エネルギー  

LPガスより木質ペレットがずっとお得

 年末年始、ニューヨーク市場では原油価格が90ドルを超えた。産油国の生産余力がなくなり、景気回復すれば石油の需要が上がり、価格が上昇するという傾向が今後も続くだろう。

 灯油の値段はこのところ70円台の後半〜80円/L(18Lで1400円程度)。灯油1Lが木質ペレット2kgにほぼ相当するので、40円/kg程度でペレットが入手できれば、燃料価格としてはトントンである。ただし、まだ40円/kgでペレットが買える地域は限られている(わが家では60円/kg)。

 国内ではペレットはほぼペレットストーブによる暖房に用いられていて、いわば灯油ストーブの代わりであるが、ヨーロッパではペレットボイラーを使い、暖房と給湯に使っている家庭が多い。ただしボイラーはやや大型で、ペレットタンク・貯湯槽と一緒に機械室に納められている。日本では燃焼機器をおける機械室を持つ住宅は少なく、また都市近郊では敷地が狭くてそのスペースもない。

 ところで、関東以西の都市近郊住宅地では灯油ではなくLPガスを給湯用に使っている家庭は多いと思われる。実はLPガスの熱量あたり単価は、灯油やペレットの3倍もする。日本人の風呂好きを反映して、給湯需要は地域による差があまりない。高断熱で暖房をあまり使わない家でもお風呂には入る。しかも、給湯は年中あるので、ペレットの需要を平準化するにも都合がいい。だからペレットを普及させるにはここが狙い目なのだ。

 統計データを使ってシミュレーションしてみると関東地方ではLPガスを使っている場合、年間に10万円ほどガス代を払うことになる。これに対して木質ペレットが45円/kgであれば、4万円ほどですみ、その差は6万円にもなる。10年間で60万円だから、機器の価格差がその程度に収まるなら「木質ペレットボイラーいいじゃん」、という人もいるのではないか。ただし、都市ガス、電気(エコキュートで時間帯別料金適用)だとここまで差はつかない。

 問題は貯湯槽一体の屋外設置型ボイラーがまだないことで、ここは是非メーカーにがんばってもらいたい。ライバルはエコキュートってことで、ぜひお願いします。エコキュート+20万円くらいなら多分行けるかと。
[PR]

by greenerworld | 2011-01-09 16:15 | エネルギー