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カテゴリ:レビュー( 25 )

 

[Book]『口福無限』草野心平

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 講談社文芸文庫
 2009年12月
 1300円

 かのブリア=サヴァランの言葉「どのようなものを食べているか言ってみたまえ。君がどのような人間かあててみせよう」を持ち出すまでもなく、食にはその人となりが顕れる。開高健に池波正太郎、檀一雄など多くの“食通作家”がいたが、蛙の詩人・草野心平の食へのこだわりは、一味も二味も異なる。草野の食はきわめてシンプルであり、この本にも贅を凝らしたものはほとんど出てこない。庭に生えるスベリヒユのおひたし。バラやボタンの花びら、ホトトギスの花、クズの花を二杯酢で、あるいはそのまま食べる。ハギやキンモクセイの花をトーストに散らす。挙げ句はトロロアオイの根もすり下ろす。およそ庭やその周辺に生えるもので、草野の口に入らぬものはない。

 湘南の浜で漁師からもらったワカメの耳(メカブ)は干して持ち帰り、戻して刻んで二杯酢や味噌汁に(今でこそ店で売っているがそのころは捨てるものだった)、料理店から提供されたキスやアナゴの骨をから揚げに。近所の魚屋からはイカのはらわたをもらってきて酒と塩と味醂で漬ける。八百屋からはダイコンの葉っぱを譲り受けて一夜漬けにする。捨てられるはずのものも、草野には宝物に思えた。

 そうかと思うと、サワガニは生きたままばりばりと食ったり(ジストマがいるからすすめないと書いてあるが、おそらく当時の編集部があえて加えたのではないかと思う)、イワナ釣りの渓流で見つけたニッコウサンショウウオをそのまま一飲みしたり……。

 鮭は頭がいちばん好きだとか、エビは尻っぽがいちばんうまいと書いてある下りには思わず膝を打った。ブログ子もそう思っていたのです。草野自身も高村光雲の本にエビの天ぷらは尻っぽがうまいとあるのを読んで、「十人力を得たような気がした」と書いている。

 実は昨年、仕事で何度か福島県の川内村を訪ねた。現地で世話になった方に「そのうち時間があれば天山文庫をご案内しましょう」と言われて、ようやく川内村が草野心平のゆかりであったことを知った次第だ。草野は福島県上小川村(現・いわき市)に生まれたが、昭和28年、50歳の時に川内村にある長福寺住職の招きで、平伏沼に生息するモリアオガエルの産卵を見に行く。戦後中国から引き揚げ、詩集『定本 蛙』などを発表して詩壇に名が知られるようになるも、貧しい生活は続き、居酒屋「火の車」で生活の糧を得ていたころである。嵐山光三郎さんのエッセイで読んだことがある卵黄の味噌漬けはその「火の車」のメニューだったようだ。その後、草野は川内村の名誉村民となり、その記念として建てられたのが天山文庫。落成を記念した天山祭りは、村民や草野の知己らが参加しての言わばどんちゃん騒ぎ。いまも毎年7月16日には人々が集まり、歌い踊るという。

 『口福無限』は昭和50年〜55年ごろに雑誌・新聞などに寄せた随筆や対談、詩を輯めたもの。70代で、すでに胃潰瘍で胃の3分の2を切除していた。しかし、草野はこのころも酒正三合を適量として毎夜のようにたしなんでいたらしい。しばしば、三合が四合になり時には八合にまで度を超すこともあったと、書いている。こんな酒飲みが居酒屋の主人では、とても商売にはならなかったろう。天山文庫には、酒樽を再利用した書庫まである。

 本書に収められた短詩に草野の食への思いが籠もる。

 ゼイタクで。
 且つ。
 ケチ足るべし。
 そして。
 伝統。
 さうして。
 元来が。
 愛による。
 発明。

 なお、最後の開高健との対談が震撼モノ(笑)。天山文庫への訪問はいまだ果たしていないが、今年こそは──できればモリアオガエルの産卵時期に──訪れたいものだと思う。酒正三合たずさえて。
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by greenerworld | 2010-01-12 17:19 | レビュー  

Still Crazy After All These Years

 行ってしまいました! サイモンとガーファンクル・オールドフレンズコンサート2009 in 東京ドーム。7/10(金)夕方の水道橋駅ホームから、オジサン・オバサンがこぼれ落ちそう。こんなコンサートなかなかないだろう。

 ビートルズには少し遅れ、かといってローリングストーンズにかぶれるほど腰が据わっていなかったブログ子にとっては、ポール・サイモンのニヒリズムと皮肉が、アート・ガーファンクルのストレートで美しい歌声に隠されて、ちょうどよかったのだ。72年にポールが発表したソロアルバム「Paul Simon」は、レゲエやカリプソなど、いま考えると斬新な試みにあふれたアルバムだが、当時のブログ子は「こんなんS&Gじゃない(そらそうです)」とショックを受けたものだ。

 でもすでにS&G最後のアルバム「Bridge Over Troubled Water」にはラテン風味あふれる曲が何曲か入っているんですな。遅れてアートが出したソロアルバムの方が、むしろ“S&G”ぽかった。その後ポールは、アフリカミュージシャンと組んだアルバム「Graceland」で新境地を開いた。ブログ子がリアルタイムで聴いているのはこの「Graceland」と次の「The Rhythm Of The Saints」まで。その後ポールが出した3枚のアルバムは全曲は聴いていないが、さまざまなサウンドの融合を目指した斬新な曲作りは続いているようだ。

 さて、今回のツアーは、2003-2004年の北米・ヨーロッパツアーの成功を受けて、ニージーランド、オーストリア、日本を回るもの。名古屋、東京、大阪、札幌のどの会場もチケット完売で、武道館での追加公演も満員だ。
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 ブログ子の聴いた7/10のコンサートは「Old Friends/Bookends Theme」から始まり、初期の名曲を何曲か、トム&ジェリー時代の曲をはさんで、ソロになってからのそれぞれの曲へと移る。その後また二人の曲へという構成。

 正直アートの声には昔のような伸びがなく、息継ぎも少し苦しそうだったが、まだまだ歌手として現役のポールはソロで張りのある声を聞かせてくれた。

 アートが「今日のコンサートでいちばん好きな曲かもしれない」といってソロで歌ったのが「Kathy's Song」。へえ、そうなんだ。この曲はポールが当時の恋人のことを歌ったもので、元々はポールのソロ(演奏はギター一本)でレコーディングされている。ソロ時代の曲も2曲歌った。

 ポールがソロで選んだのは「Slip Slidin' Away」に「Still Crazy After All These Years」と「Diamonds On The Soles Of Her Shoes」。Still Crazy〜は、さえない男が昔の彼女と町で偶然会って、ビールを一緒に飲み、やっぱりまだ未練が残っていると思い悩むストーリー。ポールの詞は暗喩に満ちているが、この歌を持ってきたのは何を表しているのか。Diamonds On The Soles〜に至っては、ノリノリのポールにオジサン・オバサンたちはついて行けない様子でした。

 それにしても“アラ古希”で、こんなツアーができる2人には全く頭が下がる思い。終盤、「Bridge Over Troubled Water」では不覚にも目頭が熱くなってしまいました。「Still Crazy After All These Years(こんなに時間がたってもまだ大好きなんだ)」という意味が何となくわかったような。甘い感傷かな?
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by greenerworld | 2009-07-12 19:53 | レビュー  

[BOOK]長い旅の途上 星野道夫著

f0030644_13541716.jpg 星野道夫の写真は雑誌や新聞などで何度も目にしていて、その写真に添えられた文章も当時読んでいるはずなのだが、まとまったものを読むのは初めてだった。読んでみてあらためて、この稀代の写真家が同時に非凡な文筆家でもあったことに気がついた。今さらながらその才能を惜しまずにはいられない。

 この人の目には、自然も文化も人の生き方も同じように見えていたのだろう。今自分が生きているこの地球の上に、カリブーやホッキョクグマやザトウクジラや伝統を忘れずに暮らす人たちが生きている、その同時性に対する畏敬の念が、彼を突き動かしていたのではないか。「いつも、いつも、遅く生まれすぎたと思っていた」彼が、カリブーの大群を見て、「何か間に合ったような気がした」と書く。それは自分自身がその場に居合わせることのできた幸せを表現したのではなく、それをこうして伝えることのできた喜びの言葉だ。

 懐かしく思い出すと書いた「過去も未来もない、ただ一瞬一瞬を生きていた」幼いころの時間の感覚を、おそらく星野はずっと保ち続けていたにちがいない。彼はすぐにでも過去に流れ去ろうとするその一瞬一瞬を記録することに全身全霊をかけた。星野の写真にも文章にも、その一瞬に生きていたものたちへのいとおしさがこぼれ落ちんばかりに満ちている。

 野生生物とオーロラと星野道夫のことを覚えている人々に会いに、アラスカに行ってみたい。まだ間に合ううちに。

 『長い旅の途上』
 星野道夫著 文春文庫 724円+税

 星野道夫の主要な写真作品は富士フイルムミュージアムで見ることができる。
http://www.fujifilmmuseum.com/pro_artist/artist/list/?id=2
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by greenerworld | 2009-06-23 13:58 | レビュー  

[BOOK]新版 よくわかる地球温暖化問題

f0030644_10341376.jpg 気候ネットワーク編
 中央法規出版
 2009年4月1日発行
 定価2200円(税別)

 京都議定書の目標達成期間に入り、今年12月のCOP15コペンハーゲン会議では、2013年以降の目標と枠組が決定される予定である。本書の前身の『よくわかる地球温暖化問題』は2000年に出版され、その後2002年に改訂版が出された。この間に、アメリカの京都議定書からの離脱やポスト京都をめぐる議論などがあり、状況はかなり変わってきているが、「京都議定書」はやはり今でも大きな存在である。ブログ子の手元には2000年版があるが、今でもレファレンスとして時にぱらぱらとページをめくる。このブログを書くときにもよく取り出している。

 さて、旧版と比べると、もちろん気候変動に関する知見や予測はIPCCの第4次評価報告書を踏まえたものになっており、2005年の京都議定書の発効などこの間の流れ、日本における温暖化政策とその問題点も整理されている。国内排出権取引や自治体の温暖化対策などの項目も加わった。このあたりを概観するには便利だ。

 コペンハーゲン会議を踏まえて、多分来年には改訂版を出さねばならなくなるだろうが、旧版ともどもしばらくは座右に置くことになりそうだ。
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by greenerworld | 2009-04-24 10:36 | レビュー  

「亀には亀の世間がある」

f0030644_16221325.jpg 『忘れられた日本人』(岩波文庫)は、“旅する人”宮本常一の真骨頂とも言える作品だ。全国の農産漁村を歩き、名もなき人々に話を聞き書き取った記録である。かつての大らかな性の習俗、したたかな男や女たち、細やかな心遣いやふれあいなど今は失われてしまった日本人の姿が描かれる。盲目の老乞食が自らの数奇な人生を語る「土佐源氏」など、並の小説よりずっと面白いと思う。

 自らの祖父市五郎を描いた章も印象深かった。貧しい暮らしの中働き詰めに働いて、なお神仏への祈りを怠らず、感謝の気持ちを忘れなかったという。楽しみはといえば仕事をしながらの歌。常一が子供のころ、山奥の田のほとりにあった井戸に亀がいて、幼い常一がこの亀を飼いたいと言う。祖父が亀を捕り縄で括ってくれ、家に持って帰ろうとするのだが、常一は途中で亀のことがなんともかわいそうになった。泣きながら亀を持って田へ戻ると、祖父は亀を元の井戸に戻し、「亀には亀の世間があるのだからやはりここにおくのがよかろう」と言うのである。

 この亀が大きくなると、今度はとなりの年寄りが「この中では世間が狭かろう」といって、井戸から出し、そばの谷川に入れてやる。亀はその谷川に居着き、市五郎は亀を見かけるとそのことを必ず常一に話したという。

 苦しい日々の暮らしの中でも、生き物に対するこころ優しさを持っていたのは、市五郎やとなりの年寄りだけではなかったろう。一般の動物にも人間と同じような気持ちで向き合う「その気持ちがわれわれにもまた伝えられて来た」と宮本常一は書いているのだが、残念ながらその気持ちは、いまは断絶してしまったのではあるまいか。
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by greenerworld | 2009-04-02 16:26 | レビュー  

[Book]人類の祖先は肉食動物の「獲物」だった?

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『人は食べられて進化した』/ドナ・ハート、ロバート・W・サスマン著(伊藤伸子訳)/化学同人刊/2200円+税

 アンリ・ルソーの描いた作品は一種「変」な絵ばかりである。「ジャガーに襲われた黒人」も変な絵である。凄惨な出来事を描いているようで、全く緊張感を感じさせないどころか滑稽味さえ覚える。襲われているのは黒人というより、ほとんど人のシルエットのようにしか描かれていない。奇怪な葉をつけた植物が生い茂り原色の花々が咲く密林の中で、その平板な黒い影に飛びつくジャガーの背中にはなぜかナイフが刺さっていたりもする。本書のカバーに使われているのはその絵(の一部)だ。

 人の祖先は500~700万年ほど前にチンパンジーとの共通の祖先から分かれ、独自の進化の道を歩き始めた。それまでは森に住み、危険があれば樹上に逃げることができた。しかしこのころ地球は寒冷化が進み、乾燥化したため安全で食べ物の豊かな森が縮小した。人類の祖先は森を離れ、サバンナに出ることを選択した類人猿の一族だったのだ。しかし、そこにはライオンやヒョウやチーターやハイエナ(の祖先)がいた。わが祖先はそうした捕食者におびえ、しばしば彼らに襲われながらも生き延びた(だから私たちがいるわけですね)。彼らはさまざまな武器を発明し集団で他の動物を襲って食べる「狩る人=Man the Hunter」ではなく、むしろ「狩られる人=Man the Hunted」だったというのだ。著者は人類がいかに猛獣の餌食になってきたかを、さまざまな証拠とともに示す。しかしそのことが人類に進化をもたらした、というのが簡単にいってしまえばこの本の主題だ。

 したがって人間にとって恐ろしい猛獣も、われわれの知恵を発達させることに貢献してきたのだという。確かに、食べられたら遺伝子を残すことができない。食べ物をうまくとる方向への進化より、食べられないようにする方向への進化の方が切実性がある。社会性やコミュニケーションの能力も、捕食者から逃れるためと考えた方が納得がいく。

 なお、ジャガーは南北アメリカ大陸に分布するので、先のルソーの絵は人類進化の舞台アフリカではなく、南米のジャングルを描いたということになる。そういえばルソーの「眠れるジプシー女」にも、砂漠で横たわる女性の横に忍び寄るライオンが描かれている。ルソーの意識の中には「狩られる人」の遠い記憶があったのだろうか。
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by greenerworld | 2009-01-08 08:00 | レビュー  

【新刊案内】マグロが減るとカラスが増える?

 新著を紹介させていただきます。

f0030644_105378.jpg『マグロが減るとカラスが増える?』
税込価格 : ¥1,365 (本体 : ¥1,300)
発行 : ダイヤモンド社
ISBN : 978-4-478-00565-1

<目次>
はじまり 地球の生きものたちはつながっている
捜査ファイル1 シカが増えると山崩れが起きる!──山の動物たちに異変
捜査ファイル2 ハチが消えて作物がとれなくなった!──自然界で受け渡されているもの
捜査ファイル3 田んぼが変わり、メダカが消える!──川の魚たちの危機
捜査ファイル4 マグロやイワシが減っているのはなぜ?──海の生きものたちの危機
捜査ファイル5 アオマツムシとカラスはなぜ増える?──温暖化と都市化と生きものたち
捜査ファイル6 人間がつくり出す“毒”が、地球をめぐる!──公害と生態系

 気候の安定と生物多様性の保全はいずれも私たちにとって重要な課題です。しかし気候変動に比べ、生物多様性の危機に関しての認識、関心はまだまだ低い状況です。2010年は生物多様性条約の目標年でもあり、締約国会議が日本(名古屋)で開催されます。生態系や生物多様性保全について議論や理解が深まる一助に本著がなればとも願っております。ぜひご一読ください。
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by greenerworld | 2008-06-09 11:05 | レビュー  

ネルソン・マンデラとジョニー・クレッグ

 「マンデラの名もなき看守」は、見応えのある骨太の映画だった。後に南アフリカ初の黒人大統領に選出される黒人解放運動のリーダー、ネルソン・マンデラ氏と、その看守であったジェームズ・グレゴリー氏の、実話に基づくストーリーだ。

 人種隔離政策(アパルトヘイト)下で抑圧された黒人たちは、自由と平等な社会を目指して反体制運動を組織した。そのリーダーだったネルソン・マンデラは、国家反逆罪で捕らえられケープタウン沖にある監獄島・ロベン島に収容されていた。そこに赴任してきたのが、下級士官のグレゴリー。地方の農場で育った彼は、黒人の少年たちとつきあい、彼らの言語であるコーサ語を理解できたため、マンデラの監視にあたる任務を与えられたのだ。彼は、黒人政治犯たちの会話を聞き、届く手紙を調べあげて、組織の摘発に功績をあげる。

 しかしグレゴリーは、マンデラとふれあううちその高潔な人柄に惹かれ、禁断の「自由憲章(The Freedom Charter)」に目を通す。そこには白人と黒人がともに手を携えて暮らす理想の国の姿が描かれていた。

 グレゴリーは、黒人びいきとさげすまれ、家族の身の危険も感じるようになり自ら決意してロベン島を去ることになる。しかし、コーサ語のわかる彼を白人政権が手放すことはなかった。そして時代の流れは変わる。アパルトヘイトに対する国際的な非難が高まり、白人政権は窮地に陥るのだ。マンデラ抜きに南アの将来は考えられなくなっていた。マンデラはロベン島から本土のより条件の良い収容所に移される。そこでグレゴリーはむしろ交渉役や秘書のような役目でマンデラに対することになる。そして、89年のデクラーク大統領との歴史的な会談、翌年の解放と、グレゴリーは歴史の一こまをつくる側に回る。

 最後のクレジットに、映画で使われているManqobaという曲の提供者としてジョニー・クレッグ(Johnny Clegg)の名があった。ジョニー・クレッグは、イギリス生まれでローデシア(現ジンバブエ)やザンビア、南アで育ち、マンデラと同じウィトワーテルスランド大学に学んだ白人ミュージシャン。ザンビア時代は現地校に通い、黒人の子どもたちと机を並べて学んだこともあったと本人のサイトにある。ウィトワーテルスランド大では反アパルトヘイト運動家であった社会人類学者のデビッド・ウェブスター(1989年に秘密警察によって暗殺された)の薫陶を受ける。クレッグは70年代後半、ヨハネスブルグの黒人ストリートミュージシャンとバンドを組んだ。

f0030644_10491757.jpg 80年代の初め、ブログ子は渋谷センター街の奥にあったタワーレコードをよく覗いていた。あるときたまたま手にしたのが、JULUKAというバンドのScatterlingsというアルバム。ジャケットの絵(右)に惹かれたのだ。今なら「ジャケ買い」というのだろう。家に帰ってレコードに針を落とし、脳天を突き抜けるような衝撃を受けた。世の中にこんな音楽があったのか。強烈なアフリカンビート、美しいメロディ、そして英語と現地語混じりの歌詞。

 ずっと後で知ったのだが、JULUKAはジョニー・クレッグがストリートミュージシャンのシポ・ムクヌと組んだバンド名だった。Scatterlingsは、彼らが初の北米ツアーを行った時に制作されたものらしい。

 当時の南アでは、黒人と白人が同じバンドで、黒人の音楽と西洋音楽を融合し双方の言葉で歌うことなど許されることではなかった。しかも彼らの曲には政治的メッセージが込められていた。JULUKAの曲は南アで放送禁止となったが、それでも彼らのアルバムは口伝てでヒットしたという。

 Scatterlingsに納められていたScatterlings of Africaという曲には“African idea make(s) the future clear”という詞がある。もちろんそのままの意味で読んでいただいてもいいのだが、African ideaをFreedom Charterに置き換えてみると、そのメッセージが見えてくる。また、その後に出したWarsaw1943という曲のタイトルはカムフラージュで、歌詞にある卑劣な弾圧を行うファシストとは白人政権のことだと容易にわかる。87年には、JULUKAを解散(シポ・ムクヌが牛飼いの仕事に戻ったため)した後に結成したSAVUKAで、ネルソン・マンデラ氏をテーマにしたAsimbonanga(あなたが見えない)という曲も出している。ジョニー・クレッグの曲がマンデラ解放、そして南アの民主化・人種の融和に果たした役割は小さくないのだろう。

 日本ではあまり知られていないジョニー・クレッグ(&JULUCA,SAVUKA)だが、アマゾンでアルバムも買えるし、iTunesストアにも入っている。アフリカのエネルギーと未来への希望を感じさせてくれる。映画とともに、こちらもおすすめだ。
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by greenerworld | 2008-06-01 11:17 | レビュー  

[Book]『私はフェルメール』

 オランダ生まれの才能と自信にあふれた若い画家だったハン・メーヘレンは、当代の有力な批評家の一人でメーヘレンの最初の個展を好意的に紹介してくれたカーレル・デ・ブルの美しい妻を奪うことで、全ての批評家たちを敵に回してしまう。しかし彼が認められなかったのは、完成された古典的な絵画技法に拘泥し、批評家を虜にするような主題やオリジナリティを絵画の中に表現できなかったからだ。写真が発達し、絵画の世界には新しい波が訪れていた20世紀初頭のヨーロッパ。キュービズムやヴォーティシズム、ダダイズムの台頭を苦々しく思っていたメーヘレンは、何世紀にも渡りうち捨てられてきたフェルメールに深いシンパシーを覚える。

 メーヘレンは(真作が)30数点しかないフェルメールの作品に自分の描いた絵を潜り込ませることを思いついた。幸いなことに彼は、古典絵画の技法と当時の顔料の知識や技術を兼ね備えていたのだ。最初の何作かで批評家たちを引っかけると、まだ日の目を見ていないフェルメールの初期作品─カラバッジョに影響を受けた宗教作品─が存在するはずだという批評家アブラハム・ブレディウスの“予言”に合わせて、大作「エマオの食事」を描くのである。そして、ブレディウスにその絵を発見させるよう罠を仕掛ける。「エマオの食事」はブレディウスによって真作と鑑定され、ロッテルダムのボイスマン美術館に展示される。メーヘレンが、ナチスに協力した嫌疑で逮捕され,全てを告白するまで。

 メーヘレンが逮捕されすべての贋作を告白した後でさえ、その告白を否定する評論家がいたというのは驚きである。「エマオの食事」の完成度が高かった証拠だろうが、その後の贋作はモルヒネやアルコールの影響もあって次第に質が低下する。しかし、「エマオの食事」がフェルメールの真作であれば、その後の作品はたとえ中途半端な出来であっても、フェルメールの手によるものと判断されてしまう。オランダがドイツに占領された時代であればなおさらだ。そしてかのゲーリングまでもが、メーヘレンが描いた“フェルメール”作品を手にしたのである。

 著者のウインは書く。「彼(メーヘレン)の非凡な成功は、専門家を騙すような傑作を描いて黄金時代の巨匠と肩を並べたことにあるのではない。どんなに作品がまずくても、人体表現がお粗末でも、出所由来が不確かでも、最も学識あるフェルメール批評家たちはやすやすと醜いヘボ絵を真作として聖別する、そのことを証明したことにあった」

 ストーリー仕立てで話の運びはスリリング。ただ、おそらく原著のままなのだろうが、同じ人物が愛称で呼ばれたり、ファーストネームで呼ばれたり、ラストネームで呼ばれたり、出身地名で呼ばれたりするところは、翻訳に当たっては整理した方が良かった。何カ所か表現にわかりづらいところも。そのあたりで読みにくくなってしまったのは残念。

 『私はフェルメール』
 フランク・ウイン著/小林頼子・池田みゆき訳
 ランダムハウス講談社 1800円+税
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by greenerworld | 2008-01-05 18:00 | レビュー  

[Book]『石油で読み解く「完敗の太平洋戦争」』

 12月8日は日米開戦の日。66年前(1941年)の今日、日本海軍がハワイ・オアフ島の真珠湾を攻撃した。すでに中国大陸で泥沼の戦争を繰り広げていた日本が、アメリカを始めとする連合国を相手にさらに戦線を拡大させた。

 工業生産力でも資源でも兵力でも数段勝るアメリカを敵に回し、なぜこんな無謀な戦争に日本は突き進んだのか。その理由はもちろん当時の軍部の独走にあるが、そのきっかけとなったのが石油だった。

 そのころアメリカは世界最大の石油生産国であり、輸出国だった。その当時日本には国内油田が存在していたが、その生産量はわずかで、アメリカの740分の1に過ぎなかった。日本の石油の海外依存度は92%、対米依存度は75%に達していた。航空機のエンジン出力向上に欠かせないオクタン価の高いガソリン精製能力でも、日本はアメリカに大きく劣っていた。

 1937年の日華事変を期に、アメリカは対日制裁を進める。工作機械、石油や高性能な航空機用ガソリンが輸出制限になり、さらに1941年7月には日本の在米資産の全面凍結、8月には石油の全面禁輸が実施された。

 さあ、困った。石油が入ってこない。石油は国民生活を支える以上に、戦争遂行になくてはならないものだからだ。戦車も航空機も軍艦も、石油なしでは鉄のかたまりである。石油禁輸で追い詰められた日本は、現在のインドネシアやマレーシアの油田を占領し、日本に還送することをめざした。

 開戦前に検討された不利な数字はことごとく無視され、あるいは棚上げされて、開戦しか打開の道はないと軍部は突き進んでいく。真珠湾の奇襲は成功したかに見えたものの、石油備蓄タンクもドックも破壊せずに引き揚げたため、米軍はすぐに体勢を立て直す。日本は真珠湾攻撃後ただちにボルネオやスマトラの油田や精油所を制圧するが、陸軍と海軍の対立でまごついているうちに油槽船が次々沈没され、補給線は断たれた。南方に派遣された石油技術者の多くも犠牲になり、掘削機械も失われた。燃料不足では、艦船も動けず戦闘機も飛べず、もはや戦いにならなかった。

 実は当時日本が支配していた満州(現在の中国東北部)には、膨大な石油資源が眠っていた。この油田が発見され、採掘に成功していれば、アメリカの政策も変わっていただろうし、その後の成り行きはだいぶ変わっていたかもしれない。しかし、かといって当時の日本の政治情況から、そのまま平和な世界が訪れたとは考えにくい。日本はさらなる軍事力拡大に突き進み、どこかで大きな破局が訪れたに違いない。

 『石油で読み解く「完敗の太平洋戦争」』
 岩間敏著 朝日新書 720円+税
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by greenerworld | 2007-12-08 17:25 | レビュー