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「減電」で日本が再生する

(講談社の『本』に掲載したものです。一部加筆修正してあります。)

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 ライン川の支流に削られた谷は思いのほか深く険しい。暗い葉色をしたトウヒやモミの森を縫うつづら折りをレンタカーで上りきると、丘の上には思いがけず雄大な牧草地が広がっていた。そこには森を見下ろす巨人のような風車が五基、間を置いてゆったりと羽根(ブレード)を回転させていた。南斜面に建つ家々や畜舎の屋根には太陽光発電パネルが輝き、軒先にはたくさんの薪が積み上げられていた。

 ドイツ南西部のバーデン-ヴュルテンベルク州フライアムトは、黒い森(シュヴァルツヴァルト)の中にある村だ。二〇一二年五月に、私がこの村を訪れたのは、自然エネルギー導入の進むドイツの中でもとりわけ先進的な地域だと知ったからである。この村では風力発電、太陽光発電、そしてバイオガス(家畜糞尿や食品廃棄物などを原料に発生させた、メタンを中心とする可燃性ガス)発電で、村で使う以上の電気を生み出しているほか、暖房や給湯の燃料は地域で取れる薪や、木々を粉砕したチップでまかなう。その薪やチップは村外にも運ばれている。

 二〇〇〇年にドイツで導入された再生可能エネルギー法(EEG)は、自然エネルギーからの電気を、コストに見合いなおかつ利益の出る価格で買い取ることを電力会社に義務づけた。フライアムト村ではこの制度を活用し、地域住民が組合をつくって、風力発電ビジネスに乗り出した。太陽光発電の方は主に個人が銀行などから融資を受けて設置している。こうして自給自足どころかエネルギーの〝輸出〟を達成、風や太陽、森の恵みが、地域に富をもたらしているのだ。

 黒い森周辺は、春の味覚、軟白アスパラガス(シュパーゲル)の産地である。シュパーゲルの季節になるとレストランには、専用のメニュー「シュパーゲル・カルテ」が置かれる。ゆでたシュパーゲルにオランデーズソースをかけ、ゆでじゃがいもやシュヴァルツヴァルター・シンケン(塩漬け生ハム)を付け合わせるのが当地風だ。肉や湖でとれるマスもカルテにはあるが、こちらも付け合わせの扱い。メインはあくまでシュパーゲルなのである。

 当地はワインが名産でもあり、農業や観光が主要な産業。住民は、秋になると森に入ってキノコ採りやベリー摘みを楽しむ。そのキノコやベリー、マスが食べられなくなってしまったことがある。一九八六年春、旧ソ連チェルノブイリ原発で起きた事故によって放出された放射性物質が、はるか一五〇〇キロメートル離れたこの森に降り注いだのである。

 フライアムトの四〇キロメートルほど南に、シェーナウという小さな町がある。この町に住む母親たちは、チェルノブイリ原発事故に衝撃を受け、汚染地の子どもたちの疎開を受け入れるとともに、原子力のない未来を目指して活動を始めた。

 当時シェーナウの電力供給は一社に独占されていた。彼女たちは、電力会社に節電とともに原子力からの電気供給を行わないよう申し入れる。その申し入れが却下されると、彼女たちは今度は自前の電力会社をつくり、送配電網(グリッド)を買い取って、自ら〝原子力フリー〟の電気を供給することを目指した。

 この企ては無謀と思われたが、議会で僅差で承認され、一九九七年、彼女たちのつくった電力会社──実際には電力供給組合──シェーナウ電力(EWS)がスタートした。その後電力自由化を受けて、EWSはドイツ全土に自然エネルギーで発電された電気を販売するようになった。二〇一二年三月現在顧客数は一三万人に達し、一五年までに一〇〇万人を目指しているという。「世界の果てのようなこの町からドイツ中に電気を売っている」とEWSの広報担当、エヴァさんは胸を張る。

 フライアムトやシェーナウでの成功の背景に、この地域の中心都市フライブルクの存在を忘れるわけにはいくまい。七〇年代初め、フライブルクから三〇キロメートルほど離れたライン河畔のヴィールに、原子力発電所の建設が計画された。反対する農民たちを支援して、フライブルク市民を中心とする三万人もの人々が予定地を占拠し、最終的に計画を撤回へと追い込んだのである。市民たちは、その運動の中でエネルギーについて議論し学び合い、原子力のない未来へ向けて舵を切った。

 フライブルクでは、市民発のさまざまな先進的プロジェクトが活発に繰り広げられている。フライアムトの風力発電事業をプロデュースしたのも、フライブルクに本部を置くNGOだ。

 先進的な環境政策や交通政策の導入で、いまや「環境首都」として名高いフライブルクは、省エネルギー、エネルギー効率化、自然エネルギーを環境・エネルギー政策の三本柱に据えている。建物の断熱などによりまず使う場面でのエネルギー消費を削減し、熱と電気をともに使うコジェネレーション・システムなどの効率的利用技術によりエネルギーをむだなく使い、その上で自然エネルギーで置き換える。すなわち、作り運ぶ場面(インプット)と使う場面(アウトプット)での削減を前提に、エネルギーを適材適所で使おうというものである。こうした考えは、脱原発と気候変動対策を同時に進めようとする地域や国に共通している。

 三・一一後、わが国で繰り返されたのは、原発なしでは日本は深刻なエネルギー不足に陥るという議論であった。もちろん、この議論は前提が間違っている。電気だけがエネルギーではない。石油も石炭もあるし、暖房や調理には薪や炭も使える。太陽の光は電気に変えずに熱として利用すれば三倍も四倍も効率がよい。

 一方、発電所では大量の燃料を燃やしているが、その時発生する熱の半分以上、原子力発電では三分の二は廃熱となって環境中に捨てられているのだ。送電・変電時の損失もあり、われわれの許に届くのは投入されたエネルギーの平均して三分の一程度でしかない。

 わが国全体の最終エネルギー消費量に占める電気の比率は二五パーセント程度だし、家庭で使用されるエネルギーの半分程度だ。それも電気でなくてもよい用途に使われている。たとえば家庭で使うエネルギーの半分から三分の二は、せいぜい五〇℃もあればよい給湯や暖房に使われている。もし発電所で捨てられる熱が利用できるなら、総体のエネルギー投入量を三割程度は減らすことができるだろう。全てを電気に頼らずに熱を熱としてむだなく使うこと、電気と熱をバランスさせることが、脱原発のみならず、気候変動対策や将来のエネルギー枯渇を考えた時、重要な鍵なのである。

 三・一一以降のエネルギー論議に大きな違和感を感じて、私は「節電ではなく減電を、脱原発ではなく脱電気を」と主張してきた。そのためには現在のような大規模集中型の発電システムでなく、地域地域に適正な規模の、熱と電気の両方を使うコジェネレーション・システムを整備していくいく必要がある。風力発電で知られるデンマークだが、供給電力の半分以上はこうした地域にあるコジェネレーション・プラントからのもので、廃熱は温水として地域の暖房や給湯に利用されている。こうした使い方をすればエネルギーは自ずから地産地消に向かう。エネルギーの代金が地域に回り、関連産業も興るというわけだ。エネルギーシステムの変革は社会も経済も活性化させるはずである。
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by greenerworld | 2014-01-26 12:48 | エネルギー  

東京・羽村市の無暖房住宅を訪問

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 東京都知事選が始まり、脱原発が争点になっている。残念ながら、エネルギーの議論は相変わらず「電気」に偏っている。原発や化石燃料から自然エネルギーへ、という「エネルギーシフト」の前に、エネルギー使用量そのものを減らすという根本のところをきちんと考えなければいけない。

 エネルギーを使わない社会をつくるには、大きく分けて二つのアプローチがある。一つは、総合的なエネルギー効率を高めることで、電気を作るために失っている廃熱を有効利用したり、電気でなくともいいことに電気を使わないこと、である。発電時に投入されるエネルギーの6〜7割は熱として失われている。太陽光やバイオマスも、電気に変えるより熱として使う方がずっと効率がよい。もとよりわれわれが使うエネルギーの半分以上が熱、それも低温の熱なのだ。

 もう一つは使う場面でのエネルギーの大幅な削減である。それには、いわゆる節電や省エネではなく、根本的にエネルギーを使わない構造に転換すること(「行動の省エネ」から「構造の省エネ」へ)が肝心。家庭での冷暖房に使われるエネルギーは大きいが、それをがまんするのではなく、使わなくても快適に過ごす方法がある。これを減らすことは社会のベースエネルギー消費を下げる意味がある。

 1月25日に、東京・羽村市の一級建築士・関口博之さんの、住居兼事務所を見学させていただいた。南側全面がガラス張りのいわゆるパッシブソーラーハウス(機械力を使わずに暖かくまたは涼しく過ごせる家)である。建物の構造は地元産木材を使った伝統構法、壁は自ら塗った土壁、その後少しずつ断熱工事を加えて、昨冬からは真冬でも晴れた日なら一日中(24時間)暖房はいらなくなった。曇りや雨・雪の日は薪ストーブを焚くが、それもわずかですむそうで、庭の木々の剪定枝や建材の端材で間に合ってしまうという。

 この家、特に目新しい素材を使っているわけではない。建物の南面はほぼ全面ガラス。ただし、その一部には内側に土壁がある。日射があたるとこの土壁が温まりって室内に放熱する。ガラスと土壁の間には少しすき間があり、温まった空気は部屋に循環する。いわゆるトロンブウォールと呼ばれる手法だ。また、冬は太陽高度が低いので、居間の奥まで日射しが届く。ちょうどそこに台所との間仕切りとして大谷石が積まれていて、日射はこの大谷石も温める。土壁や大谷石は蓄熱体となり、日が沈んだ後も暖かさを保つのである。

 ただし、いくら熱をためても建物から熱が逃げてしまえば、何もならない。もともと木と土壁で、あまり断熱性はよくなかった家だが、段ボールと梱包用のエアーパッキン(あのプチプチです)、それを障子紙でくるんだ手製の断熱材を屋根裏にはめ込んだり、すき間を塞いだりという手当を少しずつ施していったそうだ。

 この日はあいにく薄曇りだったが、家の中はほんのりと暖かい。放射温度計を当てると、南側の土壁の表面は15.6℃あった。快晴だと40℃くらいまで上がり、輻射熱が熱く感じるそうだ。

 日が沈むと窓の外をアルミを張ったシートを下げて塞ぐ。家の中は折りたたみ式の障子窓を閉める。窓からの熱放射を防ぎ、屋内に熱を保つためだ。

 「今朝7時の外の気温は0℃、室内は13℃ありました」と関口さん。もちろん夜間を通じて暖房はしていない。

 一方夏は庇とブドウ棚で日射を遮り、屋内の気温上昇を防ぐ。温まった空気は上昇するので、屋根裏から高窓を通じて外に抜く。庭に植えた落葉樹は緑陰をつくり、照り返しと外気温の上昇を抑えてくれる。一方、夜間には窓を開けて通風することで土壁や床、大谷石を冷やす。これらの素材は冷えるとともに湿気を吸い込み、気温が上がって湿度が低くなれば湿気を放出して温度が下がる効果がある。外気温が35℃でも室内は30℃に保たれるという。
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 かくして夏冬とも冷暖房に大きなエネルギーを使わずにすみ、電気使用量は平均100kWh/月程度になった。これは一般家庭の3分の1に過ぎない。給湯用には200リットルの太陽熱温水器を設置、その効果で平均LPガス使用量は4〜5㎥/月(一般家庭の半分以下)、トイレで流す水には屋根に降った水をためて使っており、水道使用量も9㎥/月(同3分の1)ですんでいる。これは事務所兼用の住居(5人家族)としては、驚異的に少ないといえる。

 きちんと断熱を施し、太陽光を有効に使うならば、晴れる日の多い関東以西の太平洋側では、ほとんど暖房は不要にできると考えているが、関口邸はそれをまさに実践している。この家では使っていない暖房灯油代も考えると、年間に光熱費20〜25万円ぐらい節約できる計算。設備投資に300万円くらい余分にかかっても、十数年で元が取れる。今後燃料費や電気代が上昇していくことを考えれば、回収期間はもっと短くなるだろう。

 日本でこうしたパッシブ冷暖房が注目され研究されたのはオイルショック後。実験住宅も建設され、取り組む建築家も少なくなかったのだが、その後の逆オイルショック、バブル経済ですっかり「忘れられた技術」になってしまった。今ハウスメーカーが取り組む「エコハウス」は自然の風や冷気、日射を活用するために、センサーや電動ルーバーなどを組み込んだハイテク仕様だ。関口さんが提案するのは「手間がゆとりを生む家」。環境とつながりつつ快適にすむためにはひと手間を惜しまないことが大切だと思う。

 百聞は一見にしかず。2月2日(日)の10時〜16時にも、見学会(オープンハウス)がある。お近くの方は体験してみませんか。終了しました。

 一級建築士事務所・関口建築+生活Lab
 http://blogs.dion.ne.jp/sekiguchi_lablog/
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by greenerworld | 2014-01-25 19:43 | エネルギー  

明かりを灯すたびに

 東京の離島で「漆黒の闇」というやつを経験したことがある。

 月がないどころか、空は厚い雲に覆われて星明かりもなく、前後左右も上下すらもあやふやになる。いわゆる鼻をつままれてもわからないという暗さだ。その闇の中、オオミズナギドリが海から陸にある巣に戻ってくる、その時の音や声を聴こうという趣向だったと思う。

 視覚に頼れないことを体が納得すると、それ以外の感覚がだんだんととぎすまされてくる。聴覚はもちろん、嗅覚や触覚が敏感になる。空気の中にさまざまな匂いが混じっていることがわかる。皮膚は気温や湿度、わずかな空気の動きを感じ取る。

 ほ乳類の祖先は中生代の闇の中で生き延びてきた。その原初的な記憶がよみがえってくるような体験だった。それにしてもオオミズナギドリは、漆黒の中どうやって自分の巣を見つけるものか、不思議でならなかった。

 九州の離島では、海岸に寝そべって星を眺めた。薄もやのように光る天の川を基準に、アルタイルやベガ、デネブを探す。南の空にはさそり座が長く横たわり、時折流星が視界をかすめた。波音をBGMに星だけを眺めていると、まるで宇宙空間に漂っているような感覚さえした。

 また別の時、沖縄の離島で満月の夜、サンゴのかけらを敷き詰めた小道を歩いた。白い小道にくっきりと人の影が映る。海岸に出るとリーフに波頭が輝いて見えた。砂浜に車座に座って見渡せば人の表情がはっきりとわかった。

 満月の光はどこかあやしげでもある。浮かれ狸が踊り出したり、人狼が変身したりするのもうべなるかな。人もまた然りだ。三線の響きで島歌が始まった。

 東(あーり)から ありゆる うつきのゆ うちなん やいまん てらしょうり
(東の空から上ってくる大きな月の夜 (お月様よ)沖縄も八重山も照らしてください)

 久々に満天の星とその中を貫いてぼうっと光る天の川を見たのは、福島県飯舘村にいたときである。文明の火の暴走のために、全村避難で村民がいなくなり、まわりにはほとんど明かりがなかった。その中で星々はこぼれ落ちんばかりに輝いていた。流れ星がすっと流れ、白い軌跡を残して消えた。

 明かりを一つ一つ灯すたびに、人はどれほどのものを失っただろうか。
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by greenerworld | 2014-01-04 12:37 | エネルギー