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遙かなる日本語

 もう四半世紀も昔のことになる。台湾南部の都市・高雄のバスターミナルで、東港という町へ向かう乗り場をさがしていた。そこへ「どちらへいらっしゃるの」と声を掛けてきたのは日傘を差した上品なご婦人で、それが完璧な日本語だったのだ。戸惑いつつ行き先を告げると「それなら、これから(東港の家に)戻るところだから一緒に行きましょう」ということになった。車中で尋ねると戦前に高知県の女学校を卒業したという。

 東港の町に着きご自宅に招かれた。ご主人も日本の大学を出ており「もうすぐ中等野球が始まるので楽しみ」だとこちらも完璧な日本語で語った。居間のテレビは日本の衛星放送を映していた。

 台湾は、日清戦争で日本領となり太平洋戦争終結まで日本が統治した。日本語教育が徹底し年配の方はきれいな日本語を話すと聞いてはいたが、異国にいるはずなのに不自由なく日本語で会話をしていると、違和感というのではないが、何だかすわりの悪いような感じがした。翌日、市内の案内にホテルに迎えに来てくれたのは、日本留学から戻ったばかりの夫妻の甥御さんで、日本語は少したどたどしかったが、むしろその方がしっくりときた。

 台湾での経験からさらに五年ほど遡る。ダイビングの旅でミクロネシア連邦の首都があるポナペ島を訪れた。ホテルの近くを散歩していたら、通りかかった家から一人の青年が出てきて英語で「父が話したがっている」と家に招いた。少しいぶかりながら、薄暗い家の中に入ると、初老の男性が日本語で語りかけてきた。

 「内地からいらっしゃいましたか。天皇陛下はお元気ですか」

 現在のミクロネシア連邦も、戦前は内南洋と呼んで日本が統治していた。第一次世界大戦の際に敗戦国ドイツから奪い取ったのである。その後、小さなプロペラ飛行機でコシュラエ島へ渡り、海辺の村を訪れたときも出迎えた老人に「内地からですか。天皇陛下はお元気ですか」とまったく同じことを聞かれた。

 台湾では日本の統治期間が長かったことに加え、先住民、近世以降に移住してきた福建人や広東人それぞれが異なる言葉を話していたため(先住民は部族ごとに言葉が異なる)、共通語として日本語が使われたという。それで戦後、国民党支配下になってもしばらく日本語が残った。ミクロネシアでは統治期間も短かったし、終戦後はアメリカの信託統治領となって今度は英語での教育が進んだため、もともと日本語教育を受けた世代は少ない。それも日本の敗戦をもって突然使われなくなった。彼らの中での日本語は昭和20年の夏で凍結してしまった。だからいま日本語を話すと、彼らが日本語を使っていた戦前・戦中の日本が解凍されて出てくるのである。

 戦後70年経つ現在では、日本語世代もほとんど残ってはいない。ただ現地の言葉に今でも日本語由来の単語が混じる。ポナペ語で「タマ」というと電球のこと、トランクスやショートパンツは「サルマタ」で通じる。死語となった日本語が南の島で生きているのだ。


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by greenerworld | 2015-11-09 11:15 | 森羅万象