「鹿児島県薩摩川内市の岩切秀雄市長は18日の記者会見で、九州電力川内原子力発電所(同市)で再稼働後に重大事故が発生した場合、住民避難のために九州新幹線を利用できるよう、九州旅客鉄道(JR九州)に、鹿児島県と共同で協定締結を申し入れる考えを明らかにした。
市長は「住民を大量に速く(安全な場所に)運べるというメリットがある」と強調した。(後略)」
九州電力川内原子力発電所(川内原発)の地元、薩摩川内市の岩切市長は原発推進派で12年4月の市長選挙で再選された。川内原発は、13年に原子力規制庁に新規制基準に適合していると認められ、15年8月に1号機が、同9月に2号機が、新基準下で初めて再稼働した。
その8カ月後の16年4月14日夜、熊本県中部を強い地震が襲った。さらに16日未明には本震と見られるマグニチュード7.3の地震が起きた。この地震で48名が犠牲になり(4月20日現在)、多くの人が住家を失い避難生活を余儀なくされている。その中で亡くなられた方もいる。まことに痛ましい。
最初の地震により、九州新幹線の回送車両が熊本駅近くで脱線した。高架橋や防音壁の亀裂、崩落なども150か所以上見つかった。レールの異常や枕木の破壊もあった。地震のあった区間での運転再開までは相当な時間を必要としそうだ。もし、川内原発で事故が発生していれば、新幹線で逃げることも敵わなかったわけである。新幹線ばかりか、九州自動車道もあちこちで道路の亀裂や崩壊、跨線橋の崩落が起こって通行止めだ。いずれも事故につながらなかったのがせめてもの幸いであった。
もちろん一般道も亀裂が入ったり崩落したり、瓦礫が道路をふさいだりして通行できない場所がたくさんある。今回の熊本地震では、あらためて、震災による交通インフラの寸断が明らかになった。その中で原発が事故を起こす複合災害となれば、新幹線で避難どころか、立てた避難計画そのものが画に描いた餅になろう。地震で家屋は損傷を受けたうえ余震が頻発すれば、屋内退避もできず、放射能から身を守ることもできない。
もし平時の事故であっても、30km圏外の住民が避難せずに自宅に留まるという想定がそもそも甘すぎる。福島原発事故では放射能が数百km離れた首都圏や長野県、静岡県にまで到達した。高濃度に汚染されて計画的避難区域に指定された飯舘村は、ほとんどが30km圏外だ。それを知っている以上、事故が起きたら30km圏外でも、たとえ100km離れていても、我れ先に避難を始めるだろう。そのために渋滞が発生し、肝心の30km圏内の住民は身動きが取れなくなる。そのために憲法を改正して、戒厳令を発令できるようにしようというのだろうか。
震災と原発事故が重なる複合災害が、どれほどの二次被害を地域住民にもたらすか、われわれは東日本大震災で大きな犠牲とともに学んだはずである。それを無視するかのように、いやまるでなかったかのように、原発の再稼働に突き進むのは、いったいなぜなのか。
熊本地震の震源となった2つの活断層で余震域が広がる中、その断層の先にある川内原発は稼働したままである。少なくとも余震が収まるまで運転停止を求める声が高まる中、原子力規制委員会の田中俊一委員長は、「不確実性があることも踏まえて評価しており、想定外の事故が起きるとは判断していない」(4月18日・NHKニュース)と述べ、運転停止を否定した。さらに、4月20日には、運転開始から40年を超えた関西電力高浜原子力発電所1号機、2号機の安全対策に関する申請に、新規制基準下で初めて許可を与えた。原発の運転期間は40年が原則だが、このままでは例外が原則になりそうだ。
田中委員長は、福島第一原発事故後に「除染して住民を帰還させる」という流れをつくった人物の一人だ。彼は事故後にNPO法人放射線安全フォーラム副理事長という身分で福島県飯舘村に入り、中途半端な除染実験を行って除染土は「谷ひとつ埋めればいい」と言い放った。その後原子力委員会で除染の必要性を訴えている。このとき「この状況のままで今後の原子力の再生は絶望的だ。とにかく何らかのかたちで除染をきちっと行い避難住民が帰ってこられる状況を作り出さない限りはこれからの原子力発電政策はどう進めていいかわからない」と発言している。つまり、除染は原子力産業の延命のために行うのだという話である。「住民が復帰して生活できる条件は、年間被曝線量が20mSv以下になること」と述べていることにも注目してほしい。
これらの言動を見る限り、少なくとも田中委員長は原子力を3.11前に戻したいと考えている側の人間である。それが原子力を「規制」する側のトップの座に座っているのだ。
避難に新幹線を使えばいいと馬鹿げたことを平然と述べた薩摩川内市長といい、再稼動後に「免震重要棟」の新設計画を撤回した九州電力といい、そもそも震災と原発事故を舐めている。そして原子力利権がこの国にいかに深く根づいているかを、そして彼らがそれをおいそれと手放すつもりがないことを、あらためて思わざるを得ない。これではいつかまたフクシマは繰り返されるだろう。